小石の眼から見た景色 あらかた50主婦のあったこと録

その辺に転がっている小石のあれこれ体験録です。

肩書を外して自立した日

幼い頃、自分で仕事をし、生きていけることが「自立」だと思っていました。
(仕事の中には、結婚し家庭を持ち、家事育児することも含めて。)

今ほど就業状況が厳しくない時代、大人になれば自然と仕事を得、家庭を築くものだと漠然と考えていました。

「いい大学→いい会社→いい人生」と言われて育つ

小学生の頃は、歌手になりたいとか、演劇をしたいとか、絵描きさんになりたいとか、結構子どもらしい夢を抱いていました。

小学校3年生くらいだったか、そんな夢の話をすると、母が一言

「それじゃ 食べていかれん!」

 母は、結婚を機に教師を辞めていました。
結核を患い、以降無理のきかない身体になりながらも、家事育児を担い私たちを育ててくれました。

亭主関白の夫、男尊女卑の土地柄、諦めざるをえなかった仕事、ままならない身体。色々言葉にならない思いがあったのだと思います。

「女も仕事を持たなければ。」

「結婚しなくったっていい。」

「勉強していい大学に入って、いい会社に入れたら、幸せになれる。」

そう言われながら育ちました。

肩書に縛られ、守られていた

「田舎と実家を出たい」一心で勉強し、両親に納得してもらえる県外の大学へ合格し、進学しました。

これまた故郷に帰らなくて済むように、東京で公務員になりました。

そして、色々あって(省略しすぎ!)退職→結婚となり、地方都市へ定着しました。

 

公務員を退職し、職場へご挨拶に行った帰り、ふと振りかえって役所の建物を眺め、なぜか「自立した」という思いがこみ上げました。

まあまあ長い間背負ってきた肩書というもの。

〇さんの娘、〇の妹、〇〇高校の生徒、〇〇大学の学生、〇〇〇課の私というように、いつも背負っていたものが全てなくなり、ただの私 になったと思いました。

胸中にやってきたのは解放感と、恐怖。

東京のど真ん中に、まるで中学生に戻ったかのような、肩書の取れた「ただの私」がいました。

肩書がないと、なんにもできない、なにも持たない、なんと頼りない一人だろう。

縛られていたと思っていた、煩わしいものに実は守られ、その壁の中に閉じこもって虚勢を張り、強いふりをしていた私がむき出しになっていました。

肩書を外し、「ただの私」のスタートをきったあの日が、本当の自立だったと思っています。

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いろんな肩書を軽やかに

結婚し、子育てに奮闘し、親の遠距離介護があり、
何かあるごとに転職を繰り返しながら、全く畑違いの介護や医療やその他もろもろの仕事に飛び込んだりして、現在に至ります。

結局、夫の妻であり、息子たちの母であり、義両親からは嫁と言われ、肩書が複数ついてまわります。

でも今や私にとって肩書は「ただの私」が、好きな服を着るように、
自ら軽やかにまとうものになりました。

ブロガーの肩書も内心こっそりまとって、ほくそ笑んでいるところです。

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#わたしの自立

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