小石の眼から見た景色 あらかた50主婦のあったこと録

その辺に転がっている小石のあれこれ体験録です。

感謝を伝えたかった人

大学生の頃の思い出話です。暗い内容ですので苦手な方はパスしてください。

 

 自分は要らない子どもだと感じていた

大学時代の話に行く前に、そこに至るまでのこと。

大人数兄弟の末っ子として産まれた私は、小学生の頃から「自分はこの家にとって要らない子どもなのだ」と感じていました。

 

優秀な兄姉に比べて、何故か成長が遅く、勉強もできず、何をやっても不器用。

チビでブスで、そのうえ性格が強情で、おまけに強い内斜視で見た目がおかしい。

兄姉たちに言われることもあったし、口にしなくても、母にため息をつかれる度に、自分はダメなんだなと感じていました。

何とか期待に応えようと頑張っても、全然追いつけない。

 

生活は苦しく(父が好きに使うせいでもありましたが)、母は病弱で、頻繁に寝込みます。

年に一度会う親戚から「お母さん、身体がきつくて大変なのに、育ててくれているのだから、感謝しないとね。」と聞かされるのですが、その言葉は、最後に産まれた私が余計だと言っているように聞こえていました。

親戚は決して悪気があったわけではないし、そんなつもりは毛頭なかったのだと思います。

でも、コンプレックスの塊になっていた私は、「優秀な兄姉だけだったら、生活も少し楽で、母も体が楽だったかもしれない。」「自分が最後に産まれていない方が、この家の皆にとって良かったのだ。」と思うようになっていました。

 

 からかいの言葉も耐えられるつもりだった

 中学生以降になると、子どもがどうやって誕生するか、周りも理解してきます。

たまに、「恥かきっ子」だとからかわれることがありました。「避妊に失敗してできてしまった子」という意味です。

学校の教師も、私の両親の年齢が高いことを、教室で笑いながら、からかいの対象にします。

もうすでに、十分に自覚し傷ついてきた私にとって、それらの言葉は、残酷ではあるものの今更傷つく言葉でもなく、受け止められるし、感情を押し込めれば耐えられるものでした。

こんなところで揉めても仕方がないし、言われても仕方がない。そんな諦めの気持ちでした。

 

  感謝を伝えたかった人

大学に進学し、3年生になった頃だったか、実験のため数人で班を作って作業していました。他愛ないお喋りが続く中で、兄弟の数の話になりました。

 

この手の話題になると、もしかしたらな~と予感はありましたが、兄妹の数を言うと「え~」という反応。更に末っ子だと言うと、近くの男子学生が思わず

「えっ!それ、親が避妊に失敗したんじゃない(笑)!?」

 

うん、やっぱり来たね、この反応。わかってたし、慣れてるし、大丈夫。

感情を押し込めて、心を止めて、顔の筋肉を動かして笑顔を作って

「かもね~よく言われる~」

はははっ と、作り笑いしていたら、同じ班で作業していたU君が、

「それは、ほんさきの存在を否定する発言だ!そんなこと絶対言うな!!」

と、ものすごい剣幕で男子学生を怒鳴りつけました。

 

特に仲が良かったわけでもない、普段は明るいキャラのU君を「大丈夫だから、慣れてるから」と何とか鎮め、男子学生から謝罪もあり、その場は一段落。

 

でも、その夜アパートに帰って、私は一人で涙が止まりませんでした。

私にあのような言葉を投げつけてきた人たちが責められるべきで、私は存在を否定されなくてもいいのだと、本気で言ってくれる人がいるなんて、思ってもみなかった。

 

私はずっと悲しかったのだ。待ち望まれ、歓声の中で産まれた人が羨ましかった。

どんな私でも、失敗しても欠点だらけでも、期待に沿えないダメな私でも、それでも産まれてきてほしかったんだよと、誰かに言ってほしかった。

そんな気持ちを自分が抱き続けていたことを自覚して、子どもの頃からの分まで泣きました。

 

翌日以降、お互いその話題に触れることはなく、普通に同級生として接していました。

改めてお礼を言うと、きっと泣いてしまう。人前では泣きたくないし、抱えてきたものを打ち明けられても、重すぎるだろう。付き合ってるとかではないし。

ちゃんと感謝の気持ちを伝えたかったけれど、どうしても言えず、卒業の日に「ありがとう」とだけ言うと、キョトンとされてしまいました。

 

 今、U君は彼の故郷で教師の職に就いています。

彼の教え子たちは、きっと幸せだろうなと思っています。