中島みゆきさんが大好きです。
以前「Mr.Childrenが好きだー!」という記事を書きましたが、その「好き」とはちょっと違って、中島みゆきさんの歌を、いつも心にそっと忍ばせて歩いているような気持ちです。
ファンクラブに入っているわけでもなく、全曲を語り尽せるわけでもなくて、恐れ多いですが、好きを語ります。
子どもの頃の出会い
音楽といえば「クラシックか唱歌(里の秋とか)」という母だったので、流行歌を聞くチャンスは滅多にありません。
私がその名前を目にしたのは、小学校の「修学旅行のしおり」。
隣県にバスで行くので、バスの中で歌う用の歌詞が載っていました。しおりは、多分生徒が作っていたと思いますが、そこに「おもいで河」と「ひとり上手」が載っていたのです。
トシちゃんの「ハッとして!GOOD」などと並んで、その2曲!大人の失恋の歌で、とても小学生が歌うような歌ではないような・・・未だに謎です。
次の出会いは中学生の頃。合唱コンクールの曲が「横恋慕」だったのです。
これまた恋に破れる大人の歌。この選曲は当時の音楽の先生。(先日の文化祭の劇を褒めてくださった先生)
先生、やっぱり何かお辛いことがあったのかも・・・これまた謎です。
よくわからないなりに、歌詞にも曲にも何となく惹かれて、口ずさんだりしていました。
高校生~大学生の頃
レベッカや岡村孝子、爆風スランプ、聖飢魔II・・色々好きでした。受験勉強と称して夜更かしし、深夜「オールナイトニッポン」を聞くのが楽しみで仕方のなかった高校時代、今度はトークでみゆきさんにはまりました。
番組で流れるみゆきさんの歌がたまらなくしみるのですが、当時、中島みゆき=暗いというイメージがあまりに強く、表立って「好きだー!」と言えない雰囲気でした。
大学生の頃は、世間は バブル期。でも、バブルとは全く無縁のバイト生活をしていた私は、当時流行っていた「スキー行って、彼氏がサンタクロースになる」ようなキラキラ世界感に馴染めません。
アパートでひとり、借りてきたCDを聞き、カラオケで「悪女」を歌う、雰囲気壊すタイプでした。
社会人スタート~現在
東京で公務員として社会人スタート。初めての大都会、人だらけ。寮から片道約2時間の通勤はそれこそ初体験のラッシュ。
電車が1時間に1本あるかないかの田舎育ちの私には、あまりにもショッキングな世界でした。
薄暗いうちに出勤し、今日の天気が晴れだったのかすらわからないうちに夜になる日々。
地下鉄の駅を降りて、寮まで歩く15分の間にコンビにが一軒だけあり、深夜、食べ物を調達に寄っていました。
ある日、お店にみゆきさんの顔、顔、顔。ドラマ「家なき子」でヒットした「空と君のあいだに」のシングルCDが、こんなところにも!迷わず購入して聞きまくります。
Mr.Childrenも、もちろん大好きでしたが、ビルだらけの街を歩きながら、重い足引きずって出勤する時は「Maybe」を心の中で歌います。
何の役に立ってるかわからない仕事、親兄姉のゴタゴタ、結婚と仕事、自分自身の鬱屈。あれこれ迷いに迷っていた頃、実習先のラジオから偶然みゆきさんの「誕生」が流れてきました。言葉になりません。しびれました。
出産後は、なかなかゆっくり音楽を聞く時間が取れず、CDをかけても童謡か「赤ちゃんに良いクラシック」とかばかり。みゆきさんは、流石に子守歌にも向かないので、新しい歌も聞く機会がありませんでした。
でも、長男に発達障害の傾向があると言われ、どうしたらいいかわからずひたすら悩んでいた時、
遠距離の実親の介護、それに伴う実家への複雑な思いでふさぎ込んでしまう時、
仕事と子育ての両立が上手くできなくて悶々とする時、
ママ友はじめ、人間関係でくたびれきってしまう時、
掃除機かけながらみゆきさんメドレーを熱唱し、一人で涙を流したりしながら、踏ん張ってきた気がします。
長男が大学受験に失敗し浪人が決定した頃は「倒木の敗者復活戦」を、
職場で嫌がらせされて、悔しくてたまらない時は「宙船」を、
先が見えず途方に暮れていた遠距離介護の日々は「時代」を口ずさみ、
みゆきさんの歌に支えられ、一緒に付き添ってもらってきました。
年齢のおかげもあり、また、プロジェクトXなどのおかげで、何年か前から「中島みゆきさんが好き」と、堂々と宣言しやすくなりました。
いつか、一度でいいから「夜会(コンサート風のもの)」に行きたいなと思っています。
※アルバム紹介させていただきます。とっつきやすくベスト盤です。
ほんさき
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