小石の眼から見た景色 あらかた50主婦のあったこと録

その辺に転がっている小石のあれこれ体験録です。

T先生からの宿題

小学校5,6年生の時の担任で、とても好きだったT先生の思い出話です。

 

1年~4年生 変な肩書がプレッシャー 

私は、というより我が家は、小学校の先生の間ではちょっと有名でした。

両親が元教員、父は現役の教員ではないものの、教育関係の仕事をしており、学校の先生が父のことを「ほんさき先生」と呼んでいました。(議員とか偉い役職とかではない)

優秀な兄、姉もいたので、「あの、ほんさき先生の娘」「あの優秀な〇〇さんの妹」と、よく言われていました。

 

家庭では「できが悪くて、グズだ!」と言われていた私でも、学校の勉強はできる方で、加えて変な肩書がついているためか、いつも先生に目をかけられてしまいます。

学級委員とか、クラスの出し物のリーダーとか、運動会の踊りのお手本とかの役がいつも回ってくる。

誇らしい反面「期待を裏切っては終わりだ」という強いプレッシャーを常に抱えていました。

 

 5、6年生 T先生との出会い

5年生になった時、新しく赴任されたT先生が担任になりました。

もともと小学校の教員ではなく、小学校は初めてという、30代くらいの男の先生。

絵や紙粘土工作、レリーフが得意で、優しく、時に厳しく、暖かい先生でした。

 

T先生は、恐らく父のことを知らず、兄たちのことも知りません。それまでの、ある意味特別扱いが全くなくなり、私は妙な寂しさと共に、解放感を覚えました。

 

それまで特定の友達なんていなかったのに、何故か、いつも一緒にいられる友人ができました。

 

「字が下手だけど習字を習わせてもらえない」と諦めていたけれど、美しい字を書くT先生が独学だったと聞いて、一生懸命「かきかた」の教科書をなぞっていたら、随分いい感じで書けるようになりました。

 

運動が苦手だったのに、昼休み校庭で遊べるようになり、初めて転んで保健室に行きました。大笑いすることも増えました。

 

 

学校が楽しくて仕方なく、それと反対に家庭では苦しいことが多くなっていきました。

小学校入学頃から始まっていた、長兄の、妹に対する暴言、暴力はひどくなっていきました。家庭内のストレスは、最も小さい、最も幼いものに向かいます。

身体の弱い母に代わって姉と家事をしながら、兄に怯える日々。

 

加えて、自分は「家族にとって必要ない存在」むしろ「いない方が良かった存在」と思っていた私は、せめて「マイナスを0(ゼロ)」にするため、

「役に立たなければならない、失敗してはならない」という思いに捕らわれていました。

 

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学校にだけは自分の居場所があると思っていたのですが、授業中に急に脂汗が出るほどの腹痛に襲われたり、誰かが自分を笑っているような気がしたり、

遂には、自分で自分の髪を引き抜く自傷行為が始まりました。(バレない程度)

 

ある授業中のこと。指名されて教科書を読んでいた私は、何でもないところでつかえてしまいました。

ただそれだけのことだったのですが、どういう訳か堰を切ったように涙が止まらず、自分でも訳が分からないまま泣き崩れてしまいました。

 

直後のことは憶えていませんが、後で「T先生が職員室においでって言っている」とクラスメイトから伝言がありました。

 

私は、その伝言を無視して、結局職員室には行きませんでした。

全てを話してしまいたい気持ちがありつつも、大好きな先生にダメダメな自分を知られたくない。ダメダメな家庭であることも。

母にも「家のことは、外で絶対に言わないように」と釘をさされていたし、情けない自分を知られたくなかった。

 

あの時、T先生のところに行って、全てを話せていたら、その後の自分は随分救われただろうか?と、今でも思うことがあります。

 

卒業時の通知表の先生のコメント欄には、お褒めの言葉と共に「間違いに対して厳し過ぎる面がある」との一文がありました。

当時は、「間違いを間違いと言って、何が悪いんだ!」と反感も抱きましたが、あれは、張りつめていた私に、「もっと肩の力を抜いていいんだよ」と伝えてくださっていたように思います。

 

私たちを見送った後、T先生は念願だった特別支援学校の教員となり、赴任されました。小学校に行ってもお会いすることはできませんでした。

 

 

卒業式の日、最後の帰りの会の先生の言葉は

「みんなに宿題があります。一生楽しめる趣味を持ってください。」でした。

まだ宿題済んでいないかも。もしかしたら、それは「ブログ」になるのかな?