小石の眼から見た景色 あらかた50主婦のあったこと録

その辺に転がっている小石のあれこれ体験録です。

「頑張っても報われないことがある」と知った日

最近、自分の子どもの頃の「そこそこ貧乏だったよ」シリーズみたいになってしまっています。

自分でも少々しんどくなってきました。読み手はもっと・・ですかね。すみません。「読者のためになる記事」には、ほど遠いですが、よろしければお付き合いください。

 

部活大好き中学生

中学のほぼ全員が部活動に入っていた雰囲気もあり、家計が苦しかったにも関わらず、部活動は許されていました。

私は、ある武道を選びました。必要な道具は学校の(部の)ものを使わせてもらえたので、お金がなくても始めることができます。

それまで、習い事は一切できなかった(月謝が払えない)ので、嬉しくてたまりません。すぐに部活に夢中になりました。

 

小さい頃からピアノを習っていたとか、スイミングに通っていたとか関係なく、スタートラインが同じ。

家の経済状態や、身体的な差異(成長の早さとか、視力とか)など関係なく、自分の頑張り次第で伸びていけることが、実は負けず嫌いの私にはたまらなく魅力的でした。

 

学校が終わったら、誰よりも早く道場に行き、練習中のお喋りには加わらずに黙々と練習。帰宅後も宿題はそこそこに、今日の反省、シャドー練習、イメージトレーニング。教本も顧問の先生にお借りして勉強(部活の)の毎日。

 

 

頑張れば報われる

先輩が引退し、私は常にレギュラーで試合に出られるようになりました。

 

気が付くと、最初は部の道具を使っていた皆は、段々と自分の道具を買ってもらうようになっていきました。袴も道具もピカピカです。

 

確かに恥ずかしい気持ちはありましたが、たとえ道具が古くても、体操服でも、勝負となれば、部の誰にも負ける気がしない。

少なくとも、練習については誰よりも頑張っていたつもりで、そんな自分のことを密かに誇らしくも感じていました。

 

 幸いなことに、部の仲間は、私だけ体操服でも道具がなくても、バカにすることなどなく、受け入れてくれていました。

 そんな仲間との日々も、楽しく貴重でしたが、何よりも「頑張れば報われる」と信じて、努力することが楽しかったのです。

 

 頑張っても報われないことがある

 中学3年になり、中学最後の大会が近づいてきました。

それまで、大きな大会も小さな試合も、なかなかの好成績を残してきた私たちチーム。私は、最後の大会に向けて、ワクワクするような武者震いするような気持ちでいました。

 

その頃、その武道の県連盟からお達しがありました。

今後、試合に出る者は、正式な格好を揃えること。

今まで、学生は制服や体操服での参加が認められていましたが、袴を着用しなければ試合に参加させないというものでした。

 

当時、袴はセットで約1万円でした。

お小遣いもなく、お年玉も家計に入れなければならない中学生が、何とかできる金額ではありません。

恐る恐る母に相談すると、「連盟がおかしい」とか「成長期なのに何故今買うのか」とか色々文句を言われただけでした。

 

結局、袴を購入することはできず、最後の大会に出場することは叶いませんでした。 

 

応援席から見ていた私は、不思議と涙も出ません。代わりに、仲間が泣いてくれました。 

「 頑張っても報われないことがある」と、しみじみ思っていました。

f:id:honsaki:20181116151031p:plain

 

大人になって思いかえすと、その後すぐ高校入学でお金が必要だし、「たった1回の大会のために1万円は出せなかった」というのも、わからなくはありません。

 

県連盟が、せめて経過措置でも取ってくれていたら、とも思いましたが、ずっと懸案事項だったのかもしれません。

 

袴を買えないほど困窮し、部の道具だけで何とかしている生徒など、少なくなっていた時代だったのでしょう。(この後、バブルがやってきました。)

 

長い人生の中、中学生の部活の試合など些細なこと。

頑張っても報われないことがあると、早めに知って良かったことも沢山あったと思います。

 

でも、なぜでしょう。あの時は我慢できたのに、思い出すと、どうしても涙がこぼれるのです。

心理学などの専門家ではないし、私がしつこいだけかもしれませんが、子どもの頃に感じた傷は、その時に、安心できる場所で泣きわめくなどして癒さなければ、時が経ってもいつまでも心に残るものなのかもしれません。

 

我が子にとって、自分は果たして、安心してその傷を癒せる場であるだろうかと、まだまだ自問しながら子育て奮闘中です。