自分自身の受けた就学前健診の思い出なので、40年以上前の思い出話です。
小学校入学を控え、新しい情報をお求めの方は、ごめんなさい。
ぬりえの問題「同じ魚を同じ色で塗りましょう」
何しろ40年以上前のことなので、就学前健診全体の記憶は、はっきりしていません。
それなのに、鮮明に覚えていることが一つだけあります。
母に連れられて、小学校の一室で、私はぬりえの問題を解いていました。
皆が受けたものだったのか、やはり私が少々発達に問題があったために、特別受けたのかはわかりません。
海の中を描いた、楽しそうな絵がありました。
「同じ魚を同じ色で塗りましょう」という問題が書いてあったか、言われたか・・?
ぬりえも大好きだったので、喜んで取り組みました。
母と先生らしき人と、何やら話していたようでしたが、私は夢中で塗っていました。
細長い形の魚が複数泳いでいます。
2本のラインが入っています。「きびなご」みたい。
(『同じ魚を・・』っていうのは、これを同じ色に塗れってことよね。)
全体的に明るく綺麗にしたかったので、きみどり色をチョイスします。
そして、はたと気づきました。
右下の魚。ラインが太い1本です。でも、それ以外は、他の2本ラインの魚と全く同じです。
私は、迷いました。
ラインが1本だから、濃い青で塗ろうと一度は思いました。
(でも、違うんだけど、線1本少ないってだけで仲間外れにしていいのかな?)
他の部分は同じだし、見え方で1本に見えるだけかもしれないし・・・
しばらく迷って、よっしゃ!と腹をくくりました。
ちょっと模様が違っても、仲間に入れてあげようじゃないの!
1本ラインの魚も、きみどり色で丁寧に塗りました。
大人の望みと違う答えを出した時
ぬりえが完成しました。なかなかの出来です。
嬉しくて、意気揚々と母に見せました。
呆然とする大人たち。
「この子は、線が1本と2本の区別もつかないなんて!!!」
「いやいや。それはね、それくらいで仲間外れにしたら可哀想だなと・・・」
「言い訳するんじゃありません!」
どうやら、失敗してしまったようだと気付きましたが、全く話を聞いてもらえません。
家に帰っても、「こんな問題もできないなんて・・」と、しばらくの間、母や兄姉から嘆かれ、呆れられました。
魚にきみどり色をチョイスしたことにも、文句たらたらでした。
いくら訴えても、自分の間違いを、後から言い逃れしていると言われ、訴えるのすら嫌になってしまいました。
その後、ぬりえ以外は大丈夫だったのか、経過観察だったのか、特に何事もなく小学校の入学式を迎えました。
「良い子」とは「大人の望むように答える子」
確かに、同じ魚を同じ色で塗らなかった、問の要求通りに答えなかった私が悪いのです。
年齢が上がるごとに、要求されるのは「出題者の求めるものを答える」こと。
相手が何を求めて、その問いを投げかけているかを考えることは、テストの回答でも、円滑なコミュニケーションでも重要です。
私は、この就学前健診で「良い子」とは、大人の望むように答えることなのだと察しました。
大人は、1年生には1年生らしく素直そうな返事を期待します。
例えば、何かを見学して感想を訊かれたら、「学習のめあて」が達成されたと、大人が満足できるようなことを、子どもらしく答えます。
私は、「良い子」でいなければならないと思っていたので、作文も、大人が書いてほしそうなことを書きました。
自分が書きたいことというより、その時、大人が望んでいると感じたことを書きました。
思ってもいないのに、「家族の愛情話」なども書きました。
大体の作文が入選し、文集に載りました。
大人の顔色を伺う、点数稼ぎの、つくづく嫌な小学生でした。
息子たちの時、同じ検査はありませんでした。
私は、あの時、「どうして、こう塗ったの?」と聞いてほしかった。その後、問いに正しく答えることを教えてほしかったと思います。
でも、もし、我が子が同じように塗ってきたら、できただろうか?
「よくやった!!」と言ってあげられただろうか?
今は言えると思っても、やっぱり、オロオロしたかもしれません。
私も、そんな素敵な親ではなかったから。
今、もう一度あのぬりえを塗るとしたら・・
私は、やっぱりどちらの魚もきみどり色で塗ると思うし、それでいいと思っています。