今年度で二男も義務教育終了。
PTA役員選出がらみのゴタゴタも基本的に終了!(一応高校にもありますが。)
思えば長男が保育園に行き始めてから19年。モヤモヤし続けたものからようやく解放されます。
PTAの学級委員などの役の選出は、春、新学期始まってすぐのイメージがあると思います。
でも、本部の役員(会長や会計など)や、地域から選出する委員などは、秋~冬が選出の時期という地域も多いのではないでしょうか?
私の地域は、まさに今です。(そろそろ決まっているハズ)
私は、小学校の本部役員に自ら手を挙げたことがあります。
PTAにうんざりして、憤っていたからです。
19年間で10回
私が引き受けた子ども(2人)関係の役は、
保育園の保護者会委員を2回
小学校PTAの本部役員と地域委員の計2回
中学校PTAの広報委員2回と地域委員2回の計4回
地区の子ども育成会の会長を1回
ついでに学童保育の保護者会の役員1回
全部数えて19年間で10回!
おまけに少年野球の保護者会の役、中学校の部活の保護者会の役もありました。(これはこれで、とんでもなく大変でしたが、またいつか。)
ほぼフルタイムで仕事をしていたうえに、実親の遠距離介護もあり、決して時間に余裕があったわけではありません。
でも、くじ引きで引いてしまったのでもありません。
そのほとんどが、子どもの数が少なくなってきた地区があるのに、役員選出の仕組みが古いままだったため、自分しかいない状態だったものです。
※学童保育保護者会の役員は、夜の話し合いで、一向に決まらず、早く帰りたくて手を挙げてしまいました。子どもだけでお留守番だったので・・。
母の介護も「関係ない」
長男が小学校低学年の頃から、実家へ度々帰らなければならなくなり、正直言ってPTAなどの役はやりたくないな~と逃げていました。
6年生になると、育成会長は絶対の状態(6年生が3人しかいないのに3役あるなど)だったので引き受けました。
6年生のPTA学級委員選出の話し合いが、4月にありました。
その頃、母の主治医から「1年後に生きているかもしれないけれど、明日亡くなるかもしれない。」という、わかったようなわからないような余命宣告を告げられていました。
事前の調査で、育成会長(これは自治会の役)であること、母の介護があることを書いていましたが、委員選出担当の前委員さんが一言
「ごちゃごちゃ書いている人がいますけど、関係ないですから!」
ごちゃごちゃって、あなた。そりゃないでしょうよ。
頭に血が上りまして、真っ先にくじを引きました。セーフでした。
委員を決める担当の役目も大変なので、その人個人を責めるつもりはありません。
でも、これってなんなのよ!と憤ったのも事実です。
その年の冬、母は他界しました。
母に徹夜で付き添いながら、病室で育成会の作業をしていたこともあります。
くじで学級委員が当たっていたら、どうなっていただろうかとゾッとしました。
振り回されるくらいなら
その翌年の秋、二男2年生の頃、翌年度の小学校本部役員の選出の話し合いがありました。
私たちの地区から、「会計」を出す年にあたっていました。
父の介護があるとはいえ、まだ病状は安定しています。
役員をやるなら今しかない。
父がいよいよ危ない時に、くじ引きなどさせられたらたまらない。
私は、自ら手を挙げて、役員になりました。
どうせならば、委員ではなく本部の役員をしようと思いました。
PTAを変えようという意識のない、慣例に従うだけの人たちに振り回されるくらいなら、自分が役員になって、おかしいところは変えてやる!と思ったのです。
確かにPTAや育成会などは時代遅れな面が多々あると思います。
「PTAなくせ」という意見もなるほどです。退会するのも一つの方法です。
でも、多くの人が退会したとしても、一度できた組織はそう簡単になくならないと私は思います。
変な例ですが、相続人が皆、相続放棄した田舎の土地が、登記が「〇右衛門」のまま残ってしまうように。
自分たちの組織を無くすなら、自分たちのうちの誰かが一度ぶち壊さなければ。
でも、その「誰か」の役目は、誰がするというのでしょう。
不満があるなら、その部分を、自分ができる時に乗り込んで、変えていく。
私には、それが一番、自分の不満が減る方法だと思いました。
ちなみに、会長の次に、色々改革に取り組めるのは、実は会計かな?と思っています。
お金を牛耳っていると、何かと強いのは、どこの組織も同じですね。
その後、本部役員としての1年間。不満が減るどころか溜まりまくりでしたが、それはまたいつか書きたいと思います。