2018年12月10日(月)放送のNHKクローズアップ現代+「“最期の医療”その時 家族は…」を観ていて、両親を見送った時のことを思い出しました。
母が他界して8年になります。
他界するまでに、母に延命治療を施すか否かについて、私が医師から判断を求められる場面は2度ありました。
今回は、1度目のことについて書きたいと思います。
突然の電話「5分で判断してください!」
二男がまだ年長さんの頃です。保育園に送り届け、仕事へ向かう途中、携帯が鳴りました。
画面に、ちょっと体調を崩した母が入院中の病院が表示されています。
電話を取ると、母の主治医からでした。
「お母さんの体調が急変しました。自力での呼吸が難しくなっています。」
「人工呼吸器が必要ですが、ここでは対応できません。」
「人工呼吸器をつける延命治療を希望するなら、市内(県庁所在地)の病院に救急搬送しますが、どうするか決めてください。」
私は、ただ呆然と立ちすくんでしまいました。
救急搬送の判断が必要なので、今すぐ決めてほしいと言う主治医に、父にも連絡したいとお願いすると、
「5分で判断してください!」
何とか5分間の猶予をいただきました。
ご家族に尋ねる立場だった
その頃、私は、現在とは別の医療機関に勤務していました。
関連施設に、出来て間もないグループホーム(認知症の方の)があり、事務や庶務など色々お手伝いもしていました。
施設長と一緒に、入居者のご家族との契約の場に同席することもありました。
金銭的なご説明の他、ご家族に説明し、考えてもらわなければならない重要なことの一つが「いざという時」について。
延命治療のため関連病院への搬送を希望されるか?
ここ(グループホーム)での看取りを希望されるか?
私は、具体的な延命治療についての知識も経験も未熟なまま、言葉だけを並べ、ご家族に尋ねる立場でした。
大半のご家族は、想像するのも辛い「その時」を考え、悩んだ様子で、書面の「延命治療は希望しない」にチェックします。
でも、いざ「危険かも」という状況でご連絡すると、その決断はしばしば覆ります。
そんな場面を何度も見てきた私は、両親の最期について考えていたし、冷静でいられると思っていました。
「その時」について考えられていなかった
5分の猶予をもらい、父に電話をしましたが、父は動揺してしまい判断を任せられません。姉も兄も仕事中のため電話に出ません。
だからこそ、私が両親のキーパーソンになったのですから、当然です。
私が幼い頃から、身体が弱くいつも寝込んでいた母。今回の入院中に、急変する可能性がゼロではないことも、理解していました。
母が遠くない将来、他界することもイヤと言うほど考えていました。
それなのに、最期の時、「その時」については、全く考えられていなかったのです。
私の脳裏に浮かんだのは、
このまま搬送しなかったら、誰もかけつける間もなく、母が死んでしまう。
そんなのはイヤだ。
5分後の電話で、私は救急搬送をお願いしていました。
この時は、幸いにも人工呼吸器まで至らず、危篤状態から驚きの回復をみせ、しばらくして自宅に戻ることができました。
私は、両親への延命治療は希望しないと思っていましたが、その「延命治療」のイメージは、「 意識のないまま機械につながれ、点滴で命をつないでいる状態」でした。
でも、実際は、人工呼吸器装着になったかもしれない救急搬送を希望してしまいました。
とっさの時、「延命治療を希望しない」ことが、「今、母を救急搬送しない」ことと、イコールだと思えなかったのです。
何がどこまで延命治療なのか?人工呼吸器なのか、胃に直接栄養を送ることなのか、心臓マッサージもそうなのか、わからない。
何をどう処置したら、母はどうなるのか?元の状態に戻れるのか、意識不明のまま寝たきりになるのかわからない。
そして、母の命が助かるなら、助けてほしい。そう思ってしまいました。
その後、「その時」について考え、話し合い、2度目を迎えるのですが、そのことについては、また今度記事にしたいと思います。
ほんさき
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