小石の眼から見た景色 あらかた50主婦のあったこと録

その辺に転がっている小石のあれこれ体験録です。

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「母に人工呼吸器はつけない」延命治療しない判断を下した娘の背負うもの

8年前に他界した母の延命治療について、
2度判断を求められる場面がありました。

1度目は、とっさに救急搬送を依頼してしまいました。

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1度目の判断の後

この1度目の搬送時の救急病院の医師は、母が少し落ち着いた後、
駆けつけた私たち家族に、人工呼吸器の装着についてお話してくださいました。

一度つけたら、外すことはできないこと。
話すこともできず、機械につながれるので外出もできないこと。
高額な医療費がかかること。

「どのような状態で助かるのか、どのような状態で生きたいのかを踏まえて、
本人と家族で話し合っておいてほしい。」
と伝えてくださいました。

 

遠くない将来訪れる、母の「最期の時」をいかに迎えるのが良いのか。

私は「その時」に冷静に対応できるよう、本人の意思、父や他の兄姉の気持ちを確認し合い、
きちんと判断できるようにしておきたいと思いました。

本人も家族もタブー視してしまう 

帰るにも5~6時間かかる遠距離介護ではありましたが、
帰る度に、自宅に戻った母や父、兄姉に確認を試みます。

しかし、当の母の反応は、

「そんなこと(死ぬ時のこと)なんて考えたくない!」

「 親の死ぬ時の話を持ち出すなんて!」と、非難されるばかり。

 

父も兄も姉も、その話自体が辛いのか、「その時にならないとわからない。」と、
考えることを拒否してしまいます。

我が家では、残念ながら「その時」の話はタブー視され、
全く話が進まない中、2度目のその時を迎えてしまいました。

母に人工呼吸器はつけない

若い時の結核のため呼吸器疾患のあった母が、
今度は自宅から救急搬送されました。

私は、搬送先の救急病院の医師から電話を受け、
再び延命治療について判断を求められました。

今回は、1時間程度の猶予がありました。

 

私の気持ちは「母に人工呼吸器はつけない」 ことに固まっていました。

80を過ぎ、いずれは私より先に逝ってしまうであろう母。

話すこともできず、ただベッドに横たわり、わずかに命を長らえることは、
苦痛を長らえるだけのように思えました。

 

父に電話をし、いよいよであることを告げます。
人工呼吸器をつけない方が良いと思うことも。

兄、姉にも電話をかけ、嘆く二人に、
やはり「人工呼吸器をつけない最期」を提案しました。

家族を説得し
「いよいよになっても、母に人工呼吸器はつけないでください」
と医師に連絡しました。

 

結果として、母はこの時も奇跡的に回復し、
半年後、自宅で眠るように亡くなりました。

死期が早まるとわかっていても、自宅に戻すと判断したのも私です。

判断を下した娘の背負うもの

 自宅で眠るように亡くなる最期。

母は、理想的な最期だったかもしれません。
誰からも責められたことはありません。

無理な延命治療を望まないことも、きっと多くの人に理解してもらえる判断だったでしょう。

しかし、私は、あの時から常に重い罪の意識を背負っています。

 

母の命を絶つことを望んだような気持ち。

母の命を絶てと、家族を説得までしてしまった自分。

母を手にかけたことと、何が違うと言うのか。

内心、長引く介護が辛くて、楽になろうと思ったのではないか。

人工呼吸器をつけてもらったら、自宅に帰さなかったら、
もう少し長く母は生きていたのではないか。

幼い頃、母が寝込むたびに「お母さんが、死んでしまう」と、
布団の中で泣いていた少女は、

大人になって、「もう母は生きなくてよい」と判断してしまいました。

  

後悔は全くありません。

ただ重いものを背負っているのです。

私が死ぬまで背負い遂げれば良いことだし、
それが私の存在した意味になるようにも思います。

そして、自分は、愛する子どもたちに、ましてや赤の他人である医師に、
こんなものを背負わせたくないと思っています。

ほんさき

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