年賀状は、ぼちぼち続けている。新たに始める人は稀で、ずっと続いてきた人たちにだけ出している。
元日に私の賀状を見て出してくれたのだろうという人に、「もう負担に思っているかもしれない」と出さずにいると、翌年はその人から元日に頂き慌ててお返事するといった、微妙なすれ違いを繰り返している友人も何人かいる。
ふるさとの友人たちからのハガキは、ふるさとの写真が載せてあるわけでもないのに、住所を見るだけで懐かしい。
その県名を目にするだけで、怒涛のように思い出が蘇り、胸がざわざわする。
ふるさとを離れてからの方が、ずっと長くなってしまった。
進学のため、喜んで飛び出したハズなのに、他県になかなかなじめず、体調を崩し、ふるさとへ向かう特急電車に飛び乗りたいような気持にもなった。
わたしのふるさとは、田舎で、美しかった。
空が広く青く、海は穏やかで、幼い頃までは小さな漁港があった。
すぐ近くの山は広葉樹が青々としていて、初夏は緑でむせかえるようだった。
春はレンゲ摘みをし、野イチゴを探した。
水は澄み、夏は小川でスイカを冷やし、トンボやセミを追いかけた。
秋は刈った稲を干している周りで走り回った。カラスウリの朱色が鮮やだった。
冬はすっきりと晴れた日が多く、日陰で霜柱をザクザクと踏んで遊んだ。
そして、夜は無数の星が降るようだった。
日の色や傾き、その時の匂いまで、記憶の中にしみこんでいる。
結婚後、両親が更に田舎に引っ越したので、幼い頃に住んでいた場所へ帰ることはなくなった。
一度、懐かしくて足を向けたことがあったけれど、すっかり変わっていた。
野イチゴを摘んだ丘は無くなっていたし、レンゲを摘んだ田は荒れ地になっていた。
小川は姿を消し、セミが沢山いた桜も無くなり、住宅地になっていた。
勝手に離れていったくせに、寂しいなんて言えない。
もし、手つかずで残っていたとしても、自分もあの頃一緒に遊んだ友人も、すっかり変わってしまっているし、
私が本当に懐かしがっているのは、あの頃の自分と、それを取り巻いていたものなのだから。
今では、両親とも他界したので、そもそも帰る機会もない。
田舎で何もないし、嫌な思い出は山ほどある。
実際に住み続けていたら、きっとあの頃の私と同じように嫌気がさして、結局飛び出したくなったと思う。
けれど
ふるさとの物産展なんてあると、ついつい足を運び、何かしら買いたくなる。
スーパーでふるさと産の野菜を見かけると、カゴに入れる優先順位はかなり高まる。
高校野球では、もちろん、こっそり一番にふるさと代表の学校を応援している。