今回は、過去に受けた虐待の話がありますので、暗い話が苦手な方、思い出して辛くなる方は、どうぞスルーしてください。
ブログに思い出話を書くために記憶をたどるうちに、しんどいことが多かった子どもの頃の記憶は、丸ごと蓋をして、しまい込んでいる自分に気が付きました。
そろそろ、ちゃんと開けて、整理したい。今ならできるかもしれないと思います。
強い自己否定
私は、幼い頃、成長が遅く、勉強、運動、その他あらゆることに関して出来が悪く、見た目も悪いうえにどうやら行動も変わっていたようで、物ごころついた頃から、自己否定の強い子どもでした。
チビ、デブ、ブス、グズ、性格が悪い、うちの子じゃない(拾ってきた)。
自分で書いていてもちょっと引きますが、家族からそんな言葉を浴びて育ちました。
小学生の頃、頑張って勉強してテストで98点を取っても、「こんな簡単な問題もできないの?」と、残り2点でダメ出し。
そのくせ女は勉強より家事を優先せねばならず、母が寝込むと、のんびりしいている兄たちの傍で、妹である姉と私がせっせと家事をしていました。
それでも、食べることはできたし、お下がりでも着る服はあったし、欲しいものが買えなくても学用品は最低限揃っていたので、ぎりぎり「虐待」ではなかったのでしょう。
長兄からの虐待
歳の離れている長兄は、幼い頃から怖い存在でした。
勉強面では非常に優秀な人でしたが、気に入らないことがあると、大声で怒鳴っていました。
長兄にとって怖い相手である父は不在がちで、父がいない時は長兄の好き放題でした。
やがて、彼も思春期になり、屈折したものは妹に向かいました。
私が小学校低学年の頃から、 彼は夜中に部屋に忍び込み、身体を触るようになりました。
高学年になる頃には、度々彼の部屋に引きずり込まれそうにもなりました。
ずっと恐れる対象であった彼に、ただ怯える日々でした。
夜は黙って時が過ぎるのを待ち、部屋の前を通る時は精一杯注意して、ビクビクしていました。
6年生のある時、捕まってベッドに押し倒されそうになったので、力いっぱい突き飛ばし、精一杯の侮蔑の目を向け、彼の部屋を飛び出しました。
私の中に、初めての感情が噴き出していました。
激しい 怒りと、憎悪 。
あの時から、この2つの感情が私の支えになりました。
最も辛かったこと
彼の部屋を飛び出し、怒りに任せ、私は母へ訴えました。
母は結局、聞かなかったこと、なかったことにすることにしたようでした。
以後も何も変わらず、彼が進学して家を離れ、虐待は終了しました。
近親者からの性的虐待を受けた者が辛いことは、被害そのものだけでなく、助けてくれるべき者から見捨てられることだと私は思います。
私は、母から見捨てられたと思ったし、それが最も辛かった。
彼は長男だから。待ち望まれ、歓声の中で産まれた人だから、母は彼を守りたかったのだ。
やはり私はいらない子どもだったから、グズだから、出来が悪いから、何をされても耐えなければならないと言うのだ。
前回、ふるさとについて記事を書きました。
ふるさとの記憶は、子どもの頃の記憶に直結していて、連動して辛いことも思い出してしまいます。
ふるさとは美しく、子ども時代、いいことも少なからずあったのに、虐待の記憶に塗り潰され、しまい込まれていました。
でも、なぜ、ただそこに産まれただけで被害を受けてしまった者が、大切なふるさとの思い出までも失わなければならないのか。
彼を許しはしないし、虐待の記憶は忌まわしいけれど、少しずつ切り離して、大好きだったふるさとの記憶を、私は取り戻したいのです。
暗い話にお付き合いさせてしまってごめんなさい。
読んでくださっている皆さんに、勇気を与えてくださる多くの記事に、感謝しています。
ほんさき
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