桜も好きなのですが、華やか過ぎて、自分とは縁遠いような気がしてしまいます。散ってしまう印象が強すぎて、美しいと思いつつも、どういう訳か寂しさを感じてしまうので、どちらかと言うと梅の花の方が好き。
特に、香りを頼りに、ひっそりと咲いているのを見つけるような、白い花に惹かれます。
梅は寒苦を経て清香を発す(梅経寒苦発清香)
この言葉を目にしたのは十数年前。
子育て、仕事、実親の介護などなど、悩み事だらけで身も心もクタクタだった私が、ふと手にした「禅」の小冊子の中で紹介されていました。
苦しい真っ只中は「先はいいから今助けてくだされ!」って感じだったので、この言葉を目にしても「苦しみから解放されました!」とか、「悩みがなくなりました!」なんてことは全くなかったのです。
ブログ的には、ここは「この言葉で踏ん張れた」とか書くべきでしょうが、そんなことはなく、ただ、梅の香りを思い出して、ちょっと心が和みました。
西郷隆盛の「耐雪梅花麗(雪に耐えて梅花麗し)」も有名ですね。
寒さの中で梅の花を見つけて、心動かされるのは、生き物共通なのかもしれません。
私は平凡な生き物なので、「春が近づいてる!」と感じて、嬉しさで心動かされるだけですが、早春の花、特にその香りが好きです。
小学生の頃、通学路の曲がり角に、垣根から梅の木の枝がはみ出ている家がありました。何故だかはみ出し具合が好きだったあの梅。
寒さに縮こまりながら歩いている時に、ふと漂ってくる花の香り。
表現としては間違いかもしれないけれど、香りが美しいなと思っていたのですが、「清香」という言葉を知って「あぁそれだ」と思いました。
「寒苦を経て清香を発す」のは梅に限らず、日本水仙や沈丁花も、ほんのりどこかのお庭から香りが漂ってくると、心弾みます。
立春を過ぎてからも、度々寒波が押し寄せますが、日は長くなり、地面が少しずつ動きだしているのが感じられます。(寒い地域のみなさん、ちょっとお先ですみません。)
寒くても、日の長さを感じ、しっかりと次の季節の準備を進めている植物の姿に、毎年のことなのに心動かされます。
梅にしてみれば、淡々と自分の命を全うしているだけで、人間が勝手に「寒苦に耐えている」ことにしているような気もしますが(それを言っちゃあ名言が台無し!)
昔の人は、植物を同じ生き物として身近に感じながら、励まし合うような気持ちで生きていたのかなと思います。(現代は、花粉が辛いですけれどね。)
徒歩通勤なので、この先のお宅の梅の花が綺麗、あの角を曲がると沈丁花の香りがするなどと、日に日に楽しみが増えてきます。
通学路のあの梅も、まだひっそりと咲いているといいのにな。
ほんさき
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