小石の眼から見た景色 あらかた50主婦のあったこと録

その辺に転がっている小石のあれこれ体験録です。

次兄の手作りお雛様

 私には、兄が複数人います。

それぞれ、あまりにもタイプの違う兄たちでした。

思い出したくもない長兄とは正反対で、次兄は大人しくて優しく、努力家タイプ。

ただ、母の身体が弱かったためか、一緒に生活していない時期もありました。

学童期に大けがをしたこともあり、学校の勉強は遅れ気味。加えて温厚で控え目な性格から、他の兄弟に圧倒されているように見えました。

 

でも、ホットケーキを上手に焼いてくれ、宿題の工作を手伝ってくれる優しい兄でした。

 

戦争を体験し、十分な教育の機会を得られなかった父は、自分の希望を子どもに託し、何としても子どもを大学に進学させたいと願っていました。

長兄は大学の進学先にこだわり複数回浪人し、別の兄は大学進学すると親に言いつつもフラフラと遊んでいる人でした。

次兄は、父の判断で工業高校に進みました。その後、優秀さから、先生に大学進学を勧められたものの、進学希望する兄弟に挟まれ、金銭面から諦めるよう父に説得されたそうです。

高校を出て、ふるさとから遠く離れた土地へ就職していきました。

私は、家の中から優しい味方がいなくなる不安と共に、理不尽さを感じ、ますます親に対しての反発心を強めたのでした。

 

やがて次兄は、就職した土地で明るく綺麗な人と結婚し、優しい父親になりました。

海外勤務の時でも、帰国した時は帰省し、両親の介護に疲弊している私たち妹を助けてくれました。

一度だけ、酔った時に、次兄がふと口にしたことがありました。

「どんなに頑張っても、大卒と扱いが違うと感じる時があった。その時は悔しかった。」と。

 

 

私が、小学校低学年の頃、クラスメイトから、お雛様を見に来ないかと誘われたことがありました。 

 実はお雛様が大好きだった私。人形より、むしろお道具類のミニチュアがたまりません。(グリコのおまけなども大好き。)

自分の家で買ってもらえるハズないと十分わかっていたので、欲しいと言ったことはありません。

でも、間近で見るチャンス!大喜びで行きたいと告げると、母から強固に反対されました。理由はわかりませんが、行くことは叶いませんでした。

 

ガッカリはしましたが、くじけることに慣れていたので、「それなら自分で作ってやる!」と、創作することに。

でも、なにせ私 不器用ですから

 私が、折り紙などで、お雛様を作ろうとしているのを見て、次兄が手伝ってくれました。と言うより、ほぼ、器用な次兄が作ってくれました。

厚紙と、千代紙で作ったお雛様。

針金やアルミホイル、金色の色紙も利用して、お雛様の扇や、髪飾り、屏風も作ってくれました。 

次兄に似て、優しい雰囲気のお雛様でした。 

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我が家は娘がいないので、お雛様はありません。

この季節、色々な場所、ブログの中にも、素敵なお雛様が飾られていて、相変わらずな私は、うっとり眺めてはときめいています。 

でも、今までも、きっとこれからも、私にとっての一番は次兄の作ったお雛様だと思っています。