小石の眼から見た景色 あらかた50主婦のあったこと録

その辺に転がっている小石のあれこれ体験録です。

小さな草花のたくましさに惹かれる

子どもの頃から、草花が好きでした。

田舎育ちだったので、小学校からの帰り道は、アスファルト舗装されていない道。

道端には、何かしらの雑草がたくましく生え、名も知らぬ花を咲かせていました。

小さな花を見つけると、小さな世界に引き込まれるような、幸せな気持ちになりました。

特に、寒い冬が過ぎ、少しずつ春めいてくる今頃の季節は、宝探しのような気持ちになります。

道端で座り込んで、じっと草を見ている小学生は、はた目にはさぞかし「変わった子」だったことでしょう。

 

春先に、一番を競うように咲き始める白いペンペングサ。

ついこの間まで、味気ないベージュ一面だった道端の一角が、やわらかな黄緑で覆われ、その中に星のように輝くオオイヌノフグリ。

 

ワスレナグサだと思っていた、小さな小さな水色の花。花の中央は黄色いリング、つぼみは優しい桃色のその草花は、キュウリグサという名前でした。 

小さな花がまとまって咲いていて、一帯が薄水色。

近づいてよくよく見ると、2,3ミリの一つ一つの花が、きちんと作られた、精巧なミニチュア細工のようで、不思議な気持ちになります。

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学生時代、実験室のある古い建物のわきにも、こんもりと雑草が生えていました。そして、小さなタンポポも。

冬の間は忘れてしまうほど存在感がなくなるのですが、私たちが春に気付く前に、いつの間にか花を咲かせていました。

 

実験が上手くいかないとか、孤独だとか、将来が気がかりだとか、うつむき加減で実験室に向かうと、小さなタンポポの花が目に入ります。

あまり条件が良いとは思えない、硬い土のその場所で、人知れずたくましく咲く小さな花。

「私を励ましてくれているようだ」という、ありがちなフレーズが頭に浮かんだところで、ふと思いました。

 

「人知れず咲く」と勝手に思ったけれど、人間に認めてもらうために咲いているわけじゃない。

飾られたり花束になるか否かが、花としての価値ではないのに、今、勝手に憐れむような気持ちにならなかったか?

 タンポポは、種の落ちたその場所で、ただ精一杯生きているだけで、私を励ますつもりなんてないよね。

 だからこそ、ただ、見ていると元気が出るのかも知れない。

 

励まされると、優しくされると、私は「期待に応えて、元気にならなきゃ!」と気負ってしまって、明るく振る舞い、

結局、癒されない気持ちをしまい込んでしまう時があります。

 

風に乗って、一生懸命飛んで、種が落ちちゃった場所でたくましく、精一杯できることやって生きる。

そんな人になれたらいいなと思っています。

もしかしたら、そんなあんまりカッコよくない姿を目にして、勝手に励まされる人がいてくれるかもしれない。

 

相変わらず、草花が大好きだけど、庭の草取りも大好きで、これからの季節は「取るか取らないか」と葛藤します。

いつも庭の一角は、こんもりと緑色。タンポポもあちこち好きに咲いています。