長男が一人暮らしを始めて1年以上経って、ようやく彼の置いていった荷物を整理し始めているところ。
受験直後は、親の方が捨てきれない気持ちで、
「そのうち片づけるから段ボールに入れて置いておいて」と話していた予備校のテキストやテスト。
親の方が捨てることを躊躇してしまっていた、小学校からの教科書やノート、通信教育のテキストや付録。
長男はあっさりしているのか、「自分はいらない」と言っていた箱の中に、教科書に交じって、高校卒業の時の色紙なんてのもあるけどいいのかしら?
50歳が近づき、今春は体力の衰えを痛感したので、ゴミ捨てが苦にならないうちに、極力「要るものだけ」の家にしておきたい。
自分のものはスッパリ捨てられるけれど、子どものものは一々反応してしまい、時間がかかって仕方ない。
決意が揺らがないうちに片づけたいので、あまり中身を見ないように紐で縛っていく。
ふとノートの名前の欄の小さな字が目に留まる。
文字を覚えたての頃は、のびのびした字を書いていたのに、長男は小学校高学年頃から、薄くて小さい字を書くようになった。
書く字だけがその人を表すわけではないけれど、自信なさげで、神経質な感じがして、おまけに読みにくくて、「もっと大きく濃く書きなさいよ」と、よく注意してたな。
あの頃、もしかしたら、彼なりに自信を無くしたり、神経質になることがあったのかもしれないのに、私は注意するばかりだったな。
ノートを見ると結構勉強してるのに、私は、もっと頑張れとばかり言っていた。
感情を表に出すことが苦手だったけど、出せないような親だったんじゃないかな。「お母さんが怒ると怖い」って言われたもんな。
二男もいて、私の両親の介護もあって、寂しい思いをしたのかもな。言わなかったけど、言わないでいてくれたのかもな。
ダメダメな親だったよなと思い出して、泣けてくる。
始めての子育てで、発達凸凹で育てにくくて、
両親の具合が悪くて、仕事も忙しくて、夫も忙しくて・・
仕方ないじゃんって、私は心の中で思っていた。
でも、そのどれもが言い訳だよなと思う。
怒ると怖くて、優しくもなくて、寄り添ってもいない母だった。
一生懸命やってきたつもりって言っても、心のどこかで引っかかっているから、今ごろ「なんかごめん」って思うんだな。
幼い頃の写真は、無邪気な笑顔なのに、いつからか写真の笑顔がぎこちない。
私なんぞが親じゃなければ、長男はずっと明るい笑顔でいられたのだろうか。
反抗期らしいこともなく、「くそババア」なんて言われたこともない。
ノートのどこかに「くそババア」なんて落書きでもあれば、ちょっと救われるけどな。
今どきの大学生にしては、LINEもちゃんと返事をくれるし、母の日もLINEを送ってくれた。
でも、肝心なことを話そうと思っても、気持ちを閉ざしてしまうし、10連休も帰ってこなかった。
こんなことしてても進まないので、ともかく黙々と縛る。
落ち込むし、後悔もあるけれど、これからできることは、未来のために、今から向き合うことしかないのだから。
ほんさき