平成すっとばして昭和の頃。私は「魔女っ子メグちゃん」や「キャンディ・キャンディ」よりも「マジンガーZ」が大好きな女の子だった。
アニメ派ではあったけれど、「秘密戦隊ゴレンジャー」も好きだった。
戦隊モノのはしりで、アカレンジャー、アオレンジャー、キレンジャー、モモレンジャー、ミドリレンジャーの5人組。
子どもが複数集まると、「ゴレンジャーごっこしようぜ!」となり、誰がどの色をするか話し合いが始まる。
そして大抵アカを取り合い、ジャンケンになり、勝った順にアカ、アオ、ミドリ、キかモモと決まっていく。
女子が複数いるとモモの奪い合いになることもある。私はモモ争奪戦には参加しないけど。
やっぱり一番カッコイイ、一番できるヤツがアカという雰囲気だったので、みんなアカになりたがったけれど、私は、実は2番手扱いのアオが好きだった。
「科学忍者隊ガッチャマン」では、「大鷲の健」より「コンドルのジョ―」。
「宇宙戦艦ヤマト」なら「古代進」ではなく、緑の「島大介」でもなく、「真田志郎」がなんか好き、といった具合に。
アカみたいに、「明るくエネルギッシュで、ヘマしたり突っ走っても結局みんなが助けてくれる愛されキャラ」よりも、「クールな中に熱さを秘め、賢くて、孤独で、突っ走るアカを諌めたりできる」アオに憧れていた。
ジャンケンには参加せず、「おこがましいのですがアオやりたいんですけど・・」と思っていたのだけど、アカになれなかった2番手が、「まあ、アオが、次にかっこいいし」と取ってしまうので、キか悪者役が多かった。
当時の学校は、「学級委員や生徒会の役員=勉強のできる子」という雰囲気だった。
決して人望があったのではなく、「めんどくさいし、どうせ勉強できる子がするんでしょ」という空気の中で、小中高、私は大抵学級委員に選ばれていた。
「学級委員だから」と、ことあるごとに「クラスをまとめろ」、「盛り上げろ」と望まれても、私はリーダーシップをとるのは苦手だったし、
クラスのみんなから好かれて、みんなが付いていきたいのは、明るいKちゃんなんだってことも十分わかっていた。
「ほんさきさんより、Kちゃんの方がいいよね~」なんて陰口も、ちゃんと聞こえてたよ。気付かないフリしてたけどさ。
頑張っても頑張っても、アオが少しアカくなって、ムラサキになるのがやっとで、誰の期待にも応えられなかった。
当時は、何となく、目指すべきもの、評価されるものは「アカになること」という雰囲気を感じていた。
「ゴレンジャーごっこ」のように、アオはアカになれなかった、ちょっとおしい人。そして、自分はやっぱりダメな人間なんだな~と思っていた。
平成になり、息子と一緒に観ていた頃、シルバーとかブラックとか、5色以外も現れて、そいつらがカッコよかったりして、「アカが一番じゃなくてもいい、良い時代になったな~」と感慨深かった。
PTAや部活の保護者会など、強烈なアカタイプのお母さんと一緒に役をすることが多くなり、いつの間にか私はアオの立ち位置を手に入れていた。
冷静にドライに、時にはアカの暴走を諌めながら、絶対にアカを裏切らない、アオに徹するのは居心地が良くて楽しかった。
アオは2番手なんじゃなくて、人それぞれ向き不向きの色があって、色んな色が個性を活かしてチームを組むからいいんだよねと、しみじみ思う。
でも、矛盾しているけれど、「自分はアオだ」と決めつけて、それしかしないのも勿体ない。
アオタイプが複数集まると、おのずとアオの中でもアカ、ミドリっぽい役割分担ができてきて、結局やらなきゃいけない場面もあるし、
頑張った結果、ムラサキという新キャラを生み出してしまったことも、良い経験だったかもと思う。辛かったけどね。
巷では、かつてグリーンだった青年が、ピンク頭を経て、大ブレイクしている。
彼がレッドじゃなかったってとこに、ちょっとほくそ笑んでいる。
ほんさき