小石の眼から見た景色 あらかた50主婦のあったこと録

その辺に転がっている小石のあれこれ体験録です。

決め手は「自分が納得できるか」

その決断を下した頃の私は、あらゆることに自信を失っていた。

 

結婚後に見つけた仕事は、数年後、長男の育児休業明けと同時に退職した。

復帰の話に行ったハズが、「子どもが病気になっても、シフトに穴を空けないようにしてもらわないと復帰は無理」との言葉。

親にも夫にも頼れない私には、退職しろと言われているに等しかった。

 

専業主婦になり、平日は、ほぼ長男と二人で過ごした。

長男は、歩き始めも、言葉を発するのも、オムツ外れも少しゆっくりで、独り遊びが好きで、人より物に興味を示し、普段と違うことを嫌い、こだわりが強かった。

子どもサークルに出向いても、長男は場所の変化を嫌い、他の子どもからの干渉を嫌うので、次第に足が遠のいた。

 

後に、発達に凸凹がある(軽度の発達障害)と診断されるまで、私は言葉にできない違和感を、ひとえに育て方が悪いのだと抱え込んでいた。

どれだけ絵本を読み聞かせても、あちこち散歩して草花や動物を見せて話しかけても、身体を使ったスキンシップ遊びをしても、好きな車関係の単語しか話さない長男。

私の読み聞かせがまだ足りないのだろうか?

私が車であちこち連れ出せないからだろうか?

私がお裁縫が苦手だから?ピアノが弾けないから?母親らしくないから?

私の愛情が足りないから?私が冷たい人間だから?

職場復帰できず社会から不要だと言われ、そのうえ子育てもできない母親失格の自分。

「健診や街で見かけるお母さんたちは聖母様のようなのに。」と、一人で自分を追いつめる日々だった。

 

 

長男が2歳過ぎた頃、夫の職場で、ヘルプ要員として私に白羽の矢が立てられた。

 難しい長男を保育園に預けて仕事をするなど考えられないと、即座に断ったハズだったが、パワハラ上司を断り切れなかった。

幸い、偶然にも途中入所の空きがあり、すぐに保育園が決まり、慣らし保育がスタートした。

生活が一変した長男のストレスは激しかった。

「こんなに泣かれてまで仕事をするのか?自分はなんてひどい母親だろう。」私の迷いも、長男を余計に混乱させてしまっていた。

 

 

少しずつ、少しずつ、粘り強く関わってくださる先生方のおかげで、ようやく園に馴染んできた頃、諸々の事情で、急遽、仕事の話は立ち消えになってしまった。

 

園を退所するか、このまま仕事を探すか。私は大いに迷っていた。

 

ありがたいことに、つましく暮らせば、今私が働かなくても生活できないわけではない。

市の子育て相談では、「積極的に他の子どもと関わりを持たせた方がいい」と言われたかと思えば、「できれば仕事は辞めて、家でみた方がいい」と言われたりしていた。

 

やっと園に馴染んできたところなのだ。 今を逃して、仕事をするチャンスがあるだろうか?

長男にとっても、私のような母親と二人きりじゃない方がいいのじゃないか?

でも、それは私が子育てから逃げ出したいだけじゃないのか?

 

保育園を退所すれば、毎朝毎朝泣かれることもない。

長男はストレスも少なく、マイペースで平和に生活できるだろう。

 でも、それは私が仕事をする自信がないだけじゃないのか?

 

私は仕事も子育てもダメダメな人間だと思っていたし、自信なんて全く持てなかった。

 

 

仕事を探すことを決断し、幸い理解ある職場に恵まれ、息子二人とも保育園を卒園した。

それはそれはアットホームな保育園で、親と一緒に息子たちの成長を支えてくださった。

私は、あの保育園なしではとても子育てできなかったと思っているけれど、長男にとって、果たしてどちらがよかったのかは未だにわからない。

 

あの時の決断の決め手は「自分が納得できるか」。

人生一度きりだから、チャレンジしてみたい。自分が納得できる人生を歩もうと思った私の決断は、長男の母としては正解だったのかわからない。

でも、あらゆる決断において、それが正解だったかなんて問いは、無意味だと思う。

決断した後の人生を、よりよいものにするために、精一杯生きるしかないと思っているから。

 

ほんさき