柄にもなく甘酸っぱいことを書いたのは、「肯定される」ってことについて考えていたから。
そして、なぜ肯定されることについて考えていたかと言うと、柄にもなく年甲斐もなくハマってしまった、ドラマのセリフがちょっと沁みたから。
受験勉強ひとすじの青春時代を過ごし、大学受験に失敗し、その後は色々と上手くいかない、アラサー女性塾講師の主人公。
彼女に過去ただ一人告白してきた、高校時代のやんちゃな同級生のことを思い出して、彼女が言うセリフ。
大人になって、悲しいことがあった時、何度か思い出した。
どうしても自分を好きになれない日、「誰かが一度でも自分を見ててくれてたんだ」って、何度もなぐさめられた。・・・
そして、塾の生徒であるピンク頭の不良高校生の言うセリフ。
それって、誰かに肯定されるってことだろ?別に恋愛に限った話じゃねえだろ?
最初に、俺に言ってくれたじゃん。「無敵ピンク、いい色」
みんな、そういうのがありゃぁ、頑張れんじゃねえの?
そうだな。そういうのがありゃぁ、頑張れると私も思うよ。
子どもの頃の私は、自己肯定感が低かった。今も高くはないけれど。
親から褒められた記憶はあまりなく、できたことよりできなかった部分を指摘され、注意され、ため息をつかれ、都合の悪いことは見てみぬふりをされた。
www.honsaki.com
どうすれば褒められるか、いつも相手の顔色を伺うような小学生だった。
上手くいって、学校で褒められることはあったけれど、私の本当の姿、心の中を知れば、みんな私のことを嫌いになるに違いないと思っていた。
仮の姿を褒められても、自己肯定感が高まるハズもなく、むしろ化けの皮が剥がれないよう取り繕う場面が増える。
あの時、思いもよらずやんちゃ男子から告白されて、心底驚いてしまった。
申し訳ないけれど恋愛対象ではない、ただのクラスメイトだったので、好かれようと意識したつもりがなかった。
素の私をどこかで見ていて、何を気に入ってくれたか謎だけれど、「いいと思う」って肯定してくれる人がいるとは。
恋愛感情とは違う気持ちで嬉しかったのは、自分を真に肯定されたと感じたから。
そして、ドラマの彼女のように、確かに何度もなぐさめられた。
産まれた姿から、ありのままの姿を受け入れてくれる存在だからこそ、親に肯定される経験は、子どもに揺るぎない安心感を与えるのだろう。
そんな子育てができるよう、自分も含め、親が試行錯誤することは素敵だと思う。
ただ、残念ながら親から真に肯定された経験を、あまり思い出せない人もいる。私のように。
「虐待された人間は虐待をする。」
「自己肯定感を持てず育った人間は、他人を信用できない。」
傾向はあると思うけれど、そんな言葉にじわじわと凹む時がある。
子は親を選んで産まれてくることはできない。私が与えられなかったものは、もう致し方ない。
でも、親から与えられなかったとしても、誰かに(何かに)真に肯定された喜びがあれば、それは確かに支えになる。
告白じゃなくても、どんな些細なことでも。
自分が気づかないだけで、誰かが、何かが肯定してくれているかもしれない。
ペットが膝に乗ってくるとか、PCの向こうで誰かがブログを読んで励まされているとか。
みんな、そういうのがありゃぁ、頑張れる と私は思う。
ほんさき