小石の眼から見た景色 あらかた50主婦のあったこと録

その辺に転がっている小石のあれこれ体験録です。

真に肯定されたと感じる喜びは支えになる~親から与えられなかったとしても

柄にもなく甘酸っぱいことを書いたのは、「肯定される」ってことについて考えていたから。

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そして、なぜ肯定されることについて考えていたかと言うと、柄にもなく年甲斐もなくハマってしまった、ドラマのセリフがちょっと沁みたから。

 

受験勉強ひとすじの青春時代を過ごし、大学受験に失敗し、その後は色々と上手くいかない、アラサー女性塾講師の主人公。

彼女に過去ただ一人告白してきた、高校時代のやんちゃな同級生のことを思い出して、彼女が言うセリフ。 

大人になって、悲しいことがあった時、何度か思い出した。

どうしても自分を好きになれない日、「誰かが一度でも自分を見ててくれてたんだ」って、何度もなぐさめられた。・・・

 

そして、塾の生徒であるピンク頭の不良高校生の言うセリフ。 

それって、誰かに肯定されるってことだろ?別に恋愛に限った話じゃねえだろ?

最初に、俺に言ってくれたじゃん。「無敵ピンク、いい色」

みんな、そういうのがありゃぁ、頑張れんじゃねえの?

 

 そうだな。そういうのがありゃぁ、頑張れると私も思うよ。

  

 

子どもの頃の私は、自己肯定感が低かった。今も高くはないけれど。

親から褒められた記憶はあまりなく、できたことよりできなかった部分を指摘され、注意され、ため息をつかれ、都合の悪いことは見てみぬふりをされた。
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どうすれば褒められるか、いつも相手の顔色を伺うような小学生だった。

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上手くいって、学校で褒められることはあったけれど、私の本当の姿、心の中を知れば、みんな私のことを嫌いになるに違いないと思っていた。

仮の姿を褒められても、自己肯定感が高まるハズもなく、むしろ化けの皮が剥がれないよう取り繕う場面が増える。

 

あの時、思いもよらずやんちゃ男子から告白されて、心底驚いてしまった。

申し訳ないけれど恋愛対象ではない、ただのクラスメイトだったので、好かれようと意識したつもりがなかった。

 素の私をどこかで見ていて、何を気に入ってくれたか謎だけれど、「いいと思う」って肯定してくれる人がいるとは。

恋愛感情とは違う気持ちで嬉しかったのは、自分を真に肯定されたと感じたから。

そして、ドラマの彼女のように、確かに何度もなぐさめられた。

 

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産まれた姿から、ありのままの姿を受け入れてくれる存在だからこそ、親に肯定される経験は、子どもに揺るぎない安心感を与えるのだろう。

そんな子育てができるよう、自分も含め、親が試行錯誤することは素敵だと思う。

 

ただ、残念ながら親から真に肯定された経験を、あまり思い出せない人もいる。私のように。

 「虐待された人間は虐待をする。」

「自己肯定感を持てず育った人間は、他人を信用できない。」

 傾向はあると思うけれど、そんな言葉にじわじわと凹む時がある。  

 

子は親を選んで産まれてくることはできない。私が与えられなかったものは、もう致し方ない。 

でも、親から与えられなかったとしても、誰かに(何かに)真に肯定された喜びがあれば、それは確かに支えになる。

告白じゃなくても、どんな些細なことでも。

自分が気づかないだけで、誰かが、何かが肯定してくれているかもしれない。

ペットが膝に乗ってくるとか、PCの向こうで誰かがブログを読んで励まされているとか。

 

みんな、そういうのがありゃぁ、頑張れる と私は思う。

  

ほんさき