あの微妙な関係について、広く通じやすいから敢えて使っている言葉「ママ友」。
それがさらにグループと化すと、自他ともに認める「コミュニケーション難ありあり」の私には、ハードルどころか高い壁となって立ちはだかっていた。
義務教育が終了すると、嘘のように「ママ友」の煩わしさは消える。
子どもが高校生になっても、真っ只中の人もいるのかもしれないけれど、私はスッパリ解放された。
もしかすると、解放されたと私が思っているだけで、「あの人付き合い悪い」とか「ほんさきさんって中学の時から変だったわよ~」なんて言われているかもしれないけれど、別に平気さ。
子どもが小学生の頃、所属せざるをえなかった「ママ友グループ」には、私の苦手とするタイプのママKさんがいらっしゃった。
キャピっとかわいくて(ひがんでるんじゃないもん!)、オシャレなことや楽しいことが好きで、明るくて、涙もろくて、守ってあげたくなるタイプ。
合言葉は「みんなと仲良くしたいの♡」
あぁ、書いていて思ったけれど、つまり私と正反対なんですわ。
私は、一人が好きで、つるむの苦手だし、オシャレより実用的な服が好きだし、根暗だし、人前で泣かないし、男衆から「怖い」って言われるし。
「たまたま一緒にいるだけで、無理に好きにならなきゃいけないの?」って思うタイプ。
それでも、まあ仕方ないので、一時的な付き合いと割り切って、着かず離れずやってきていた。
そんな中、グループで飲み会が開催された。
Kさんは決意を表明。「みんなと、もっと仲良くなりたいの。あだ名つけて呼び合いましょうよ♡」
「あなたは『A~ちゃん』ね! あなたは『Mっち』!私は『K△△ちゃん』って呼んでね♡ そしてあなたは・・・」
あぁ、酔った勢いとはいえ、ほとんどオーバー40の女子が、微妙なあだ名で呼び合い出す姿に、私は完全に引いてしまったのだ。
「ほんさきさんは・・『ほんほん』かな?『さきさき』?どっちがいい?」
「いや、私はいいわ・・『ほんさきさん』って、苗字で呼んで。」
一瞬で場の空気を凍り付かせてしまったけれど、空気読めなかった訳じゃない。
ここは、何となく読みたくなかったのだ。
だって愛称で呼び合うほど親密じゃないやん!
というか、べったり親密になりたいとか思ってない。
変にべったりになって、「それ変じゃない?」と反論もできなくなって、
何でも多勢や声の大きい人に合わせて「だよね」とか「いいね!」とか言わないといけない、
息の詰まる雰囲気にのまれてしまう気がして怖い。
大好きなジブリ映画の一つ「千と千尋の神隠し」では、名前が重要な役割を持つ。
名前を支配されると、自分が何者か思い出せなくなる。
帰り道がわからなくなる。
名前を支配されたくないのだ。
自分の意見が言えなくなるような、自分が自分でなくなる関係なんてゴメンだわ。
ママ友グループでの「あだ名」をお断わりしながら、そんなことが思い浮かんだりしていた。
それから、確かに私は「変わった人」扱いだったし、
LINEのグループトークでみんながあだ名で呼び合う中、私だけ「ほんさきさん」と呼ばれる距離感は少々寒々しかった。
Kさんからは、よく「私はみんなと仲良くしたいと思っているのに・・」と、
さも私が輪を乱し、妨害しているかのように責められた。
そう言えば、学生時代も「女子グループで仲良くしようと思ってるのに」と、Tさんによく責められたな。
ん?と言うことは、私が悪いのか?
でも、「仲良くする」とは何なのかい?
いつもつるんで、おそろいのグッズ持って、おそろいの意見を持って、心ひとつになることかい?
あえて攻撃したり、いじめたりしたらダメだけど、
反対意見もあって、時には言い合いして、折り合いつけて、
見かけバラバラでも「何のため」に集まってるのか間違わずにいればいいのじゃない?
私は「あだ名」を断っても、仲良くしていると思ってたよ。
基本的には、いつもボッチで平気というスタンスを貫いていた私。
授業参観も、学校行事の草取りでも、野球の応援も。
わざわざ遠く離れたりしないけど、一人でも平気。
でも、意外と似たような人はいて、一人の誰かとそれなりに言葉を交わし、特に困りもしなかった。
今でも、あのグループで連絡取り合わなければならない時は、グループLINEにあだ名が飛び交っている。
私だけ苗字だけど、それを見るたびに自分で「Good job!」と思っている。
ほんさき
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