お盆やお正月が近づくと、 以前勤務していた精神科の認知症病棟では、キーパーソンへの定期連絡の作業が加わった。
私は何の資格もなかったけれど、当時、病棟の人員要件とかなんとかで、大卒というだけで家族対応の係を任されてしまった。
普段は、入浴・排泄・移動・食事等のあらゆる介助もしていたけれど、この時期はせっせと電話をかける。
この定期連絡の目的には、患者さんの近況報告と、連絡先の変更等がないかの確認に加え、お盆休み期間の外出や外泊の予定の確認がある。
病棟に様子を見に来ることもなく、近況を実感されていないご家族は、何かことが起こってから立腹されることが多い。
定期的に連絡をしていなければ、いざという時「電話がつながらなくなっていた」というケースもある。
外泊があれば食事や薬の調整も必要だし、お迎えにこられるまでの準備は、なかなかに時間を要する。(説明や着替えや排泄や・・)
当時は携帯電話も少なく、自宅か職場にかけることになる。
「認知症」が「痴呆」と呼ばれていた頃。精神科への偏見も今以上。親を施設などに入れることに対する偏見も強かった頃。
大抵、電話の向こうはイヤそう~な雰囲気。イヤそうな声。
「病院名を名乗るな!」とか「なんで用もないのにかけてくるんですか!」と責められる。
「この時期、お盆の外泊予定の確認を・・」「ないです!(怒)」即答され、仕事とはいえ結構凹む。
Tさんは、がっちりした70代の男性。私がお会いする時間の中では「ちょっと物忘れがある」くらい。
朝夕に病棟に届く新聞を楽しみにされていた。
そろそろかな~という時間になると、座席から職員に「新聞来たかな?」とサインを出される。
席にお持ちすると、「ありがとう。」と、顔をしわくちゃにしてニコニコっとされる。
サインを出す時、左手の指が2本短いのが見える。理由を確かめたことはないけれど、色々なことがあった人生だったのだろう。
このTさんのキーパーソンは、長男さんではなくその妻、つまりお嫁さんとなっていた。 このお嫁さんへ、初めてお電話した時は強烈だった。
「何にもないのに電話かけるなーっ! 」
「こんな電話にも、お金がかかってるんじゃろ!こっちが払うんじゃろ!電話なんかせんでいい!」
なかなかの勢いで罵倒された。凹むを通り越して「なんなんだこの人は??」と、内心怒りがわく程だった。
このお嫁さんは、電話のとおり、結構口が悪く、面会時Tさんに「じいちゃん!調子どうね!?」と、ぽんぽんっと言葉をかけ、ガハハと笑う。
帰り際、お見送りする時(2重扉の鍵を開閉するので)恐る恐る声をかけてみる。
「先日は、お忙しい時にお電話してすみません。お電話したほんさきです。」
「あら~あんたなの~。いやぁ、ごめんねぇ~。」ガハハと笑われた。
お嫁さんと顔を合わせた時は、少しずつ話ができるようになった。
電話でも「あら、どうも~」なんて言えるようになり、怒鳴られなくなった。
「みんなじいちゃんのことほったらかし。私だけでも来てあげんと・・」と、農作業の帰りかな?というスタイルで、嵐のように顔だけ見て帰られたりする。
豪快で、口が悪くて、責任感が強くて、実はあったかいキーパーソンだった。
その後、私自身が実親のキーパーソンとなり、電話を受けた時のお嫁さんの気持ちが少しわかった気がした。
電話をかける方は、ただの連絡だったりするのだけれど、受け手は電話の主を知るだけで、胸に秘めた不安と罪悪感が一気に噴き出すのだ。
何かあったのか?さらに何をしなければならないのか?
もっと会いに行くべきなのか?ほったらかしてかわいそうじゃないか?
親を他人任せにして、ひどい子どもだろうか?
そんなこと、一言も言われていないのに、余裕がなくていっぱいいっぱいで、責められている気がして、
「私だって、精一杯なんだよ!」と、悲しみが怒りになって溢れてしまうのだ。
Tさんには、何人かお子さんがいらしたけれど、稀にでも訪ねて来るのは、このお嫁さんだけだった。長男さんは病棟の外で待っていて、中には入って来ない。
親子とはいえ、親子だからこそ、複雑な感情があるのは私自身よくわかっている。それについて、事情を知らない者はどうのこうの言えない。
ある時、いつも通りの面会を終え、お嫁さんは玄関で長ぐつを履きながら
「じいちゃん、かわいそうかな~って思ってるんよ。でも、(夫は)盆に連れて帰らんって言う。でも、かわいそうだよね。」と、しんみりされていた。
私はまだ若輩者で、かける言葉が見つからず、曖昧に微笑むことしかできなかった。
でも、私は今でも、このお嫁さんがキーパーソンでいてくれたことは、Tさんにとっても、そして私にとっても、ちょこっと幸せだったんじゃないかな~と思っている。
ほんさき
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