小石の眼から見た景色 あらかた50主婦のあったこと録

その辺に転がっている小石のあれこれ体験録です。

思い出の中を生きていても~認知症病棟の思い出3

明るい窓際のイスに腰かけ、温かい笑顔を浮かべているA子さんは、少しふくよかで、ふんわりとした髪の持ち主。

その髪は真っ白だけど、まだ自分は二十歳前なのだと教えてくれる。

 

以前勤務していた精神科の認知症病棟では、私が働き始めて数か月後に「患者さんへの言葉遣いに気をつけるように」というお達しがあった。

当時はまだ、患者さんに対し「ばあちゃん、じいちゃん呼び」や「ちゃん呼び(ほんさきちゃん)」や「あだ名呼び」が横行していて、

初めて耳にした時は「自分の母だったら、怒って飛び出しちゃうな~」と驚いたものだった。

とても「ばあちゃん」なんて呼べず、苗字で呼んでいたら、

「ほんさきさんの声かけって冷たく聞こえるわよ!」

なんて、先輩に注意されていたので、私にとって「そのお達し」はありがたかった。

 

それでも、A子さんは苗字ではなく名前で「A子さん」と呼ばなければならなかった。若しくは旧姓で。

認知症が進行したA子さんは、二十歳前を生きている。

結婚なんてしていないし、ましてや子どもを産んでもいない。孫がいるなんて失礼しちゃう!とご機嫌を損ねてしまうから。

 

 

日々ホールのあちこちで

「CさんがBさんの席と間違えて、Bさんが暴れて大騒ぎしている」とか、

「Dさんがオムツに手を入れて『大』を触ってしまっている」とか、

「Eさんのハートの具合が悪くて、ずっと大声を出している」といった「何か」が起こっていて、なかなかに騒然とした空間の中で、

A子さんは、少し場違いなほど、ほんわかと上品に微笑んでいることが多かった。

週2回の入浴日には、大抵「月のあれ(生理)」を理由に頑なに拒まれるので、説得には難儀したけれど。

 

 

時々面会に来られるご主人も、お子さんたちも、優しい物腰のご家族だった。

でも、A子さんは「娘さん(結婚前)時代のなかに生きている」ので、話に相槌を打ちながら、「この親切なおじいさんはどなたかしら?」と思われていたようだった。

  

認知症の人は、自分の人生の「一番いい時期に戻る」なんて説がある。

自分が一番輝いていた時代、キラキラしていた娘さん時代や、子育てを頑張っていた頃など。

そうだとするならば、共に生きてきた家族は切ない。

「こんなおじいさんと結婚なんてしていない」

「私の可愛い息子は、こんなオジサンじゃない」

結婚前が幸せだったの?子離れが辛かったの?

自分や、家族として共に過ごしてきた時間までをも否定されるように感じるだろう。

A子さんのご家族に、苗字でお呼びしても返事をされないことは言えなかった。

 

でも、多分。私は専門家じゃないから、何の根拠もないけれど、

何か特別に忘れたい、強いストレスやショックとかじゃない限り、

認知症の人がどの時期に戻り、どの思い出の中を生きることになるのかは、多分偶然。

何かを、誰かを否定するためなんかじゃないと思う。 

 

もう十分長い間、縁あって家族として生きてきた。

色々忘れてしまって、一人の人間に戻っていく人もいる。

忘れてしまったことを嘆いたり、取り戻そうとしても、難しいことがある。

偶然、人生のどこかの思い出の中を生きていても、

今、家族にとってはかけがえのない、その一人の人が「幸せな時間」を過ごせていたらそれでいい。

そう思えたら、ほんの少し、家族も気持ちが楽にならないかな?と、願うような思いでいる。

 

窓際で、音楽に合わせて指先を動かしているA子さんの笑顔は、娘さんのように可愛らしかった。

   

ほんさき

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