今回は、星つながりの、あまりまとまりのないつぶやき記事です。
先日は、夕暮れの空に、木星と月が接近して見える日でした。
仕事帰りに、西の空を見ると、微かにオレンジの残る空に、三日月と木星が輝いていて、写真を撮って、ブログに載せよう!とスマホをむけたのですが、上手く撮れず・・
こんな感じでした。↓
星空を見よう★
秋は、空気が澄み始め、夜も冬ほどは冷え込まないので、星空を眺めるのに良い季節なのですが、他の季節と比べて星座が少し地味なのです。
子どもの頃の田舎の夜空と違い、最近はほんのり夜空も明るくて、夏のさそり座や冬のオリオン座などと比べると明るい星も少なく、ちょっと星座は探しにくい。
でも、星座は探しにくくても、月の満ち欠けや、惑星を見つけるのを楽しみに星空を眺めるのも楽しいものです。
金星の輝きは夕暮れに眩しく思えるほどだし、木星や土星を見つけたら「あの星たちに、あのシマシマ模様や、あの輪っかがあるんだな~」と想像してロマンを感じます。
国立天文台のホームページに、その月の「ほしぞら情報」が掲載されていますので、参考にしながら空を見上げてみてはいかがでしょう?
★国立天文台 ほしぞら情報
https://www.nao.ac.jp/astro/sky/
木星は太陽になれなかった星?
私は、子どもの頃から星空を眺めるのが好きでした。
田舎だったので、無数の星が見えすぎて逆に星座を探しにくいほど。まさに降るような星空。
そして、惑星の中では何故か「木星」が大好きなのです。あのシマシマ模様がたまらない。
父の望遠鏡をこっそり持ち出して、初めてこの目で「愛しいシマシマ」を見た時の感動は忘れられません。
↓ ホルストの「Jupiter」も惹かれるメロディー。よく耳にするフレーズを YouTubeよりお借りしました。↓
高校生の頃、ちょっと気になっていた男子から「太陽系」に関する本を借りたことがありました。お互い「ちょこっと天体好き」つながりで。
本の名前は残念ながら忘れてしまったのだけど、美しい想像図がふんだんに掲載されていたその本の、木星についての見出しが「太陽になれなかった星」。
太陽系の中で最も大きな惑星である木星は、太陽とよく似た成分でできていますが、「質量が足りず恒星にはなれなかった」と。
とても残念そうに書いてあったのだけど、「果たして当人は、なりたかったのかしら?」と正直思いながら読んでいたのでした。
太陽になるばっかりが「良」であり、「正しい望み」なのかしら?その他は「残念」なのかしら?と。
その本には、木星の衛星の一つに大気があり、ある高度では「青空」が見えると書いてあり、想像図が描かれていました。
青空の向こうに大きな木星が浮かび、荘厳で寂しいほどの静けさを感じる美しい絵は、ちょっと甘酸っぱい気持ちと一緒に記憶されています。
星空を見上げて感じていたこと
小学生の頃から、よく一人でこっそり星空を眺めていました。
見つかれば、「何をやってるんだ」と「夜に外に出た」と怒られるし、「外は危険だ」と説かれるけれど、私の身も心も壊す危険は、この家の中にあるのに。
暴力や否定や失望に怯える、居心地の良い場所ではない家庭のなかで、見つからないようにこっそりと星空を見上げるのです。
そして、つらつらと思いを巡らせます。
今目に映る遠くの星の光は、ずっとずっと昔に発せられた光で、その星の今の姿はわからない。
限りなく広がる壮大な宇宙の中の、小さな星の上の、今居る小さな自分が見えるような気がして。
悩んでいることなどあまりにもちっぽけで、あきれるくらい。
褒められるために書いた作文には「星空を眺めてると、悩みなどちっぽけだと思えてくる。だから頑張れる」みたいな前向きなことを書いたけれど、
ちっぽけな悩みを抱える私もちっぽけで、生きている時間は届いた星の光の旅に比べれば一瞬で、
と言うことは、ちっぽけな自分がちっぽけな悩みを抱えてれば、それなりに大変じゃん。
だけど、フーフー言いながら色々抱えて、あっという間の人生を生きているちっぽけさは、何だか愛おしいような気がする。
星空を見上げながら、ぼんやり感じていたことを、大人になって言葉にすると、何だか違ってしまいますね。
そんなに難しい、立派な大人びたことを言葉で思っていたのではなく、「宇宙が大きいな」、「自分は小さいな」、「今しんどいな」、「星がきれいだな」と思いながら、考えるのではなく、感じていました。という程度の話でした。
星空を眺める時には、夢中になり過ぎて、風邪などひかれませんように。
ほんさき
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