小石の眼から見た景色 あらかた50主婦のあったこと録

その辺に転がっている小石のあれこれ体験録です。

働き者のKさん~認知症病棟の思い出4

秋が深まると、思い出す人がいる。

まだ、認知症が「痴呆」と呼ばれていた頃に勤務していた精神科の痴呆(認知症)病棟に、ある日、小柄な女性(Kさん)が入院された。

大正初期生まれのKさんは、小柄なうえに腰がひどく曲がっていたので、お顔が私のお腹くらいの位置に見えてしまう。

しゃがんで目を合わせると「ハハハ」と明るい声で笑ってくださる、こう言っては失礼なことは百も承知だけれど、かわいらしい方だった。

 

かわいらしい方なのだけれど、いつもお忙しい人でもあった。

日中、だだっ広いホールを真剣な面持ちで延々と歩き続ける。

「Kさん、こんにちは。」と声をかけると、こちらを見て

「ハハハっ。あ~どうもこんにちは。ハハハ」

と笑ってくださるけれど、すぐにまた歩いて行ってしまう。

「お食事ですよ。」と、テーブルにご案内すると、机の上の「何か」をせっせと「何か」される。

例えば、おしぼりタオルがあれば、広げて、畳んでを繰り返される。

その小さな身体の、どこにそんなエネルギーがあるのかと思うほど、片時も休まず「何か」をされている。

入院されることになった理由も、ご家族が目を離した隙に家を出てしまい「どこまでも歩いて行ってしまう」ためだった。

 

Kさんは、夜もあまり休まずに活動されていた。

ある夜は、布団を畳み、シーツでくるみ、背負ってどこかへ行かれようとされていたらしい。

スタッフみなで話していた。Kさんは、おそらく「ずっと働いている」のだ。

 

 

私は、「秋」と「夕暮れ」が似ている気がする。突然だけど。

冬に向かう季節、夜に向かう時間。「今のうちに何か済ませなくては」と、何だか焦る気持ちも生まれる。

「Kさんも私と同じ気持ちだったのかしら?」と思う。

秋の夕暮れ時、いつもにもまして慌ただしく、焦るようにホールを歩くKさんがいた。

いつものように、しゃがんで目を合わせてご挨拶しても、いつもの「ハハハ」が出てこない。

すがるように手を握られるので、「どうしました?」と尋ねると、

「いや、早よ行かんと。日が暮れっしまう(暮れてしまう)!」

「ベコ(牛)を連れて行かんと。若い衆は?日が暮れっしまう!」

これは、状況の想像が難しいなと思いつつ、「もう、若い衆がベコは連れて行きましたから、大丈夫ですよ」と言ってみたのだけれど、

「んにゃ。そんなハズないっ!」

おーい。若い衆ーー!!

Kさんの記憶の中の若い衆はアテにならない方だったらしく、説得失敗。

「そうですか、じゃあ行きましょう。」と、しばらくホールの中を一緒に歩きまわる日々だった。

 

 

 今よりはるかに不便な時代、生きていくためにいつもいつも何か作業をして、懸命に働いて、「ハハハ」と笑う日々だったのだろうかと思う。

カルテには簡単な経歴と、困った症状が出てからのことが主に書かれてあるけれど、

そこには書かれていない、Kさんのそれまでの生き様をみるようだった。(仕事には厳しい方だったのかもしれない。特に若い衆には。)

年配の方に「自分たちがどんなに苦労したか」「今がどんなに恵まれているか」と語られても、何となく感じてしまう上から目線に、素直さを失ってしまいがちなのだけれど、 

色々わからなくなってもなお、毎日せっせと働くKさんの姿は、素直に先輩方への尊敬の念を抱かせるものだった。

 

私も、もしかすると、いずれ、何もわからなくなるかもしれない。

今のままでは、スタッフさんたちに「ほんさきさん、また日向ぼっこしてるわ~」「きっと、いつも、まったり過ごされてたんだね~」なんてバレてしまいそうで、実はちょっと焦っている。

 

ほんさき

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