小石の眼から見た景色 あらかた50主婦のあったこと録

その辺に転がっている小石のあれこれ体験録です。

その凸凹は「個性の範囲」で「グレーゾーン」~診断名があってもなくてもデコボコは凸凹

発達凸凹長男(現在大学生)が保育園年長さんだった頃、つまり、今から約15年前の話。

 3歳児健診後から、半年に1回のペースで通った公的機関での「発達相談」は、途中から年1回になった。

年長さんになり受けた最後の「発達相談」は、就学に向けて結論を出すものだった。 

就学前の診断結果は「個性の範囲」で「グレーゾーン」

現在は、まとめて「自閉スペクトラム症」と言われているけれど、当時は、3歳~5歳までの間に

「広汎性発達障害疑い」とか「高機能自閉症疑い」とか「アスペルガー症候群疑い」 など、色々言われて正直かなり混乱した。

 

初回からお世話になっている、相変わらずちょっと無愛想なM先生の、最後の「発達相談」での診断結果は、

「長男くんの凸凹は、『個性の範囲』と考えていいと思います。『グレーゾーン』ですね。」

そして、M先生は「スペクトラム」の話をしてくださった。

定型発達の人と発達障害の人の明確な境界線はないということ。

虹のように、連続体であり一(ひと)続き=「スペクトラム」なのだと。

「長男くんは凸凹していて、純粋に「白」ではないけれど、ちょっとグレーだけど、

実は誰でもみんな、私もお母さんも、どこか凸凹していますよ。

 

同じ程度の凸凹でも、場合によっては診断名をつけることもあるけれど「その必要はないでしょう」と言われたその理由は

「長男も、家族も周りもあまり『困っていない』から。」

つまり、何らかの支援が必要な状態ではないという判断だった。 

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 困ってないから「グレーゾーン」なのに診断後に困る

同行してくださった保育園の担任の先生と園に戻り、診断結果を伝えると、園長先生はじめ先生方が大喜びしてくださった。

こう言っては非常に失礼で、不快に思う人もいるだろうけれど、私自身も確かに嬉しかった。

なんらかの診断名がつくと思っていたものが、「問題ない範囲」と言われたのだから。

 

でも、やがて自分自身の気持ちにも、周りの反応にも微かな違和感を覚えた。

何かの病気が「治った」のではないのだ。長男は何も変わっていない。

ただ呼び名が変わっただけなのに、まるで「治った」ような気がしてしまう。

その違和感は、どんどん大きくなり、「困ってないからグレーゾーン」なのに、診断後に困ることが増えた。

 

夫は、当初からなかなか「発達障害」が受け入れられず、「いつ治るの?」と言う人だったけれど、

「個性の範囲」と言われてから、「凸凹が治った」と勘違いしているような発言が増え、長男への当たりがきつくなった。

「ほら、やっぱり。長男くんは普通の子なのよ!」

普段から「母親が子どもを障害者扱いするなんて」と非難めいた態度を見せていた義母は、それみたことかと優しそうな風に言う。

 

困っていなかったのは「素晴らしい保育園」との協力があってこそだった。

必死に資料を集め、勉強して、凸凹していることを受け入れて、必要な対応をしてきたからこそ。

「普通の子」という扱いに変えていいというわけはないのだ。

私は、家族の中で孤立感を深めた。 

診断名があってもなくてもデコボコは凸凹

「小学校の先生方の中では、発達障害の認識はまだまだです。逆に言わない方がいいくらい。」

専門家のM先生に言われるほど、当時、小学校は先生によって認識も受け入れもバラバラだった。

保育園と違い、長男の小学校生活は担任によって大きく左右され、何にも問題のない年と、度々学校から電話がかかってくる年が交互に訪れた。

 自分自身、「凸凹を受け入れている」と思いつつも、無意識にイメージする「正しい小学男児」に近づいてほしいと、プレッシャーをかけてしまっていた。 

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診断名があってもなくても、長男の凸凹をそのままを受け入れ、保育園の時と同じように必要な対応をとっていれば、お互いに、もう少し穏やかに過ごせたのかもしれないと、今ならば思う。

 

けれど、診断名を持たず、グレーゾーンで生きていくという事は、社会の中で「健常者」として生きていくという事。

凸凹のない(少ない)「定型発達」の人と、受験や就職で同等に闘い、同じ社会の仕組みの中で生きていかなければならないという事。

いつまでも、周りの誰もに「凸凹を受け入れてください」と言ってばかりもいられないという気持ちもある。

 

苦手な分野、凹んでいる部分が変えられないなら、何かで埋めて、あるいは補って、カバーする努力を、

元々平らかな人以上に、自分で踏ん張っていかなければならない。

それが、グレーゾーンで生きていくということだと私は思う。

それに、「普通」だと言われている人だって、なんらかの苦手を持ち、努力してカバーして生きている。

苦手部分がコミュニケーションだという難しさはあっても、実は「みんな違うけど、みんな同じ」なのだ。頑張らなきゃならないってことは。

 

「個性の範囲」で「グレーゾーン」と言われた時、「嬉しい」気持ちと共に、もっと「覚悟」が必要だったのだと、しみじみ思う。 

そして、それを受け止め、これからも頑張らなきゃならないのは、長男自身。

 

 そして「やっかいなタチに産んじゃってごめんね」と、母親はやっぱり思ってしまうのだ。

 

★★★ おことわり ★★★

発達凸凹・グレーゾーンの特性やその程度は、非常に個人差があります。ここで書いていることは、あくまでも私の息子の事例にすぎないという点を、ご理解くださいますようお願いいたします。 

★★★  ★★★  ★★★ 

ほんさき 

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