発達凸凹長男(現在大学生)が保育園年長さんだった頃、つまり、今から約15年前の話。
3歳児健診後から、半年に1回のペースで通った公的機関での「発達相談」は、途中から年1回になった。
年長さんになり受けた最後の「発達相談」は、就学に向けて結論を出すものだった。
就学前の診断結果は「個性の範囲」で「グレーゾーン」
現在は、まとめて「自閉スペクトラム症」と言われているけれど、当時は、3歳~5歳までの間に
「広汎性発達障害疑い」とか「高機能自閉症疑い」とか「アスペルガー症候群疑い」 など、色々言われて正直かなり混乱した。
初回からお世話になっている、相変わらずちょっと無愛想なM先生の、最後の「発達相談」での診断結果は、
「長男くんの凸凹は、『個性の範囲』と考えていいと思います。『グレーゾーン』ですね。」
そして、M先生は「スペクトラム」の話をしてくださった。
定型発達の人と発達障害の人の明確な境界線はないということ。
虹のように、連続体であり一(ひと)続き=「スペクトラム」なのだと。
「長男くんは凸凹していて、純粋に「白」ではないけれど、ちょっとグレーだけど、
実は誰でもみんな、私もお母さんも、どこか凸凹していますよ。 」
同じ程度の凸凹でも、場合によっては診断名をつけることもあるけれど「その必要はないでしょう」と言われたその理由は
「長男も、家族も周りもあまり『困っていない』から。」
つまり、何らかの支援が必要な状態ではないという判断だった。
困ってないから「グレーゾーン」なのに診断後に困る
同行してくださった保育園の担任の先生と園に戻り、診断結果を伝えると、園長先生はじめ先生方が大喜びしてくださった。
こう言っては非常に失礼で、不快に思う人もいるだろうけれど、私自身も確かに嬉しかった。
なんらかの診断名がつくと思っていたものが、「問題ない範囲」と言われたのだから。
でも、やがて自分自身の気持ちにも、周りの反応にも微かな違和感を覚えた。
何かの病気が「治った」のではないのだ。長男は何も変わっていない。
ただ呼び名が変わっただけなのに、まるで「治った」ような気がしてしまう。
その違和感は、どんどん大きくなり、「困ってないからグレーゾーン」なのに、診断後に困ることが増えた。
夫は、当初からなかなか「発達障害」が受け入れられず、「いつ治るの?」と言う人だったけれど、
「個性の範囲」と言われてから、「凸凹が治った」と勘違いしているような発言が増え、長男への当たりがきつくなった。
「ほら、やっぱり。長男くんは普通の子なのよ!」
普段から「母親が子どもを障害者扱いするなんて」と非難めいた態度を見せていた義母は、それみたことかと優しそうな風に言う。
困っていなかったのは「素晴らしい保育園」との協力があってこそだった。
必死に資料を集め、勉強して、凸凹していることを受け入れて、必要な対応をしてきたからこそ。
「普通の子」という扱いに変えていいというわけはないのだ。
私は、家族の中で孤立感を深めた。
診断名があってもなくてもデコボコは凸凹
「小学校の先生方の中では、発達障害の認識はまだまだです。逆に言わない方がいいくらい。」
専門家のM先生に言われるほど、当時、小学校は先生によって認識も受け入れもバラバラだった。
保育園と違い、長男の小学校生活は担任によって大きく左右され、何にも問題のない年と、度々学校から電話がかかってくる年が交互に訪れた。
自分自身、「凸凹を受け入れている」と思いつつも、無意識にイメージする「正しい小学男児」に近づいてほしいと、プレッシャーをかけてしまっていた。
診断名があってもなくても、長男の凸凹をそのままを受け入れ、保育園の時と同じように必要な対応をとっていれば、お互いに、もう少し穏やかに過ごせたのかもしれないと、今ならば思う。
けれど、診断名を持たず、グレーゾーンで生きていくという事は、社会の中で「健常者」として生きていくという事。
凸凹のない(少ない)「定型発達」の人と、受験や就職で同等に闘い、同じ社会の仕組みの中で生きていかなければならないという事。
いつまでも、周りの誰もに「凸凹を受け入れてください」と言ってばかりもいられないという気持ちもある。
苦手な分野、凹んでいる部分が変えられないなら、何かで埋めて、あるいは補って、カバーする努力を、
元々平らかな人以上に、自分で踏ん張っていかなければならない。
それが、グレーゾーンで生きていくということだと私は思う。
それに、「普通」だと言われている人だって、なんらかの苦手を持ち、努力してカバーして生きている。
苦手部分がコミュニケーションだという難しさはあっても、実は「みんな違うけど、みんな同じ」なのだ。頑張らなきゃならないってことは。
「個性の範囲」で「グレーゾーン」と言われた時、「嬉しい」気持ちと共に、もっと「覚悟」が必要だったのだと、しみじみ思う。
そして、それを受け止め、これからも頑張らなきゃならないのは、長男自身。
そして「やっかいなタチに産んじゃってごめんね」と、母親はやっぱり思ってしまうのだ。
★★★ おことわり ★★★
発達凸凹・グレーゾーンの特性やその程度は、非常に個人差があります。ここで書いていることは、あくまでも私の息子の事例にすぎないという点を、ご理解くださいますようお願いいたします。
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ほんさき
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