長男が一人暮らしを始めた1年半前、ブルーになっていたのは、何故か夫の方だった。
記憶をどう引っ張りだしても、育児も家事も私に丸投げだったように思うのだけど、男心ってやつは難しい。
趣味がなければダメ?焦るアラフィフ
長男が大学に合格し、一人暮らしの準備などで、しばらくは目が回るような忙しさだった。
家具家電もそろえ、料理や家事もそこそこ鍛え、何とか無事に送り出してから、夫のため息が増え始めた。
あまりにブルーな空気を醸し出すので、ドライブがてら聞いてみる。
未来に羽ばたく息子を送り出し、 キラキラした姿が眩しく見えて、自分がなんだか嫌になってしまったようだった。
もう無敵の時間はないし、もう何者にもなれないし、ライフワークがあるわけでもないし、没頭できる趣味もない。
「あぁ、これしてる時間って楽しい!!」って思えるものすらなんにもなくて「こんな人間じゃダメだ!」って焦るのだ。
いつぞやからか「趣味を持ちましょう」という風潮になり、なんだか焦る気持ちはわかる気がする。
もはや「趣味がなければダメ人間になるぞ」と脅迫されているようだ。
「この『趣味がない状態』のまま年を重ねたら、呆けたジジババになってしまうに違いない!」ような焦り。
器用貧乏で趣味がない
不器用な私とは正反対で、夫は器用な人だ。
ピアノを弾けるし、植物を育てることも詳しいし、簡単な工作物は作れるし、折り紙も上手い。実に几帳面に、お菓子の包み紙で鶴を折る。
運動もほどほどできる。短距離も長距離もそこそこ早い。テニスも野球もバレーも並み以上にできる。
旅行先で体験系に参加すると、大抵上手にこなす。ガラス工芸体験も陶芸体験も、カヤック体験も、そば打ち体験も「もみじ饅頭作り」も。
一緒にいると、こちらが嫌になるほど短時間で理解し、手先が器用なのか、すぐできてしまう。
私には夫の器用さが理解できないし、夫はできない私の不器用さが謎なのだそうだ。
「趣味にありそうな系」のことは(絵を描く以外)何でもできるので、さぞかし楽しかろうと思うのだけど、「趣味はない」と言う。
「自分みたいなのを『器用貧乏』と呼ぶんだ。」
「ほどほどこなせるけど、極められたことはないし、そこまで熱意も持てない。」と。
料理を勧めてみた6つの理由
「趣味とは、こうでなければならない」とかいったイメージを勝手にこさえて、またまた縛られてるんじゃないの?
そこそこできるんだから、そこそこで楽しめばいいのに勿体ない。
なんて、気楽な私は思うのだけれど、そこは、まあ真面目な人なのだ。
「何かやってみて、面白いって思えるものが出てくるかもしれないじゃない?とにかく何かやってみたら?」と言っても、
時間や労力やお金をつぎ込むことに罪悪感を持ってしまうらしい。
そうねぇ、玄関周りに花をいっぱい植えようとしたら「食べられない物を育てるの?」と抵抗したくらいだからねぇ。(植えましたよ)
それならばと、料理を勧めてみた。理由は3つ。
①始めやすい・・家で少しずつ始められる。失敗しても大丈夫。(レトルトがあるさ~)
②続けやすい・・成果がすぐ見え、やりがいを感じやすい。(おいしいと言わなきゃね)
③実益を兼ね備えている・・時間と労力と材料費等は「食事」に化ける。(楽しみだけに使うのではない)
そして、言ってはいないけれど、理由は別にも3つ。
★1.夫が料理をできるようになったら、私の家事負担が大幅に減る!
★2.私が外出する時も、病気で寝込んだ時も「よろしく~」と任せられる!
★3.もしも私が先に旅立っても、ちゃんと食べていけるから安心。
一から作ったことがあるのは、インスタントラーメンと目玉焼きくらいか?という夫。
休日、料理する私の横で「見習い」からの スタート。
材料を冷蔵庫から出すとかしまうとか、途中で道具を洗うとか、炒めるだけ、カレーを混ぜるだけでも、結構楽しそうだった。
1年半が経過し、はてさて現在の姿はどうなっているのか。長くなってしまったので、それはまた次回。
ほんさき
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