趣味がないことを気に病む夫に料理を勧め、「見習い」からスタートして1年半、現在の姿はというと、
週末の昼・夕食作り担当=夫 が基本のスタイル。
それはまるで「台所育児」
見習いの頃は、興味津々で質問攻め。
「何でこれから作るの?」「何でこんな切り方なの?」「味付けは何と何を入れるの?」「何で?どうして?なんで?・・・」
ぬゎぁぁぁーーメンドクサイ!
一人でパパッと作った方が断然早い!
そんなん、理由なんか知らんし、いつも適当に作ってるのに聞かないでー!
そう、それはまるで息子たちとの「台所育児」の日々。
がまんがまん。やる気をそがないように。自信を失わせないように。
いつか、私の飲み会があっても、夕飯準備せずに「行ってきまーす」と出かけられる、その日のために。
夫は、さすが器用なだけあって(おまけにちょっと凝り性)みるみる力をつけた。
今では「買い物」も「材料を切る」も「味付け」も「片付け」もバッチリだ。
栄養バランスを考えて、メニューを組み立てることも、もう問題ない。
そして、近頃私は、食事の準備をしなくても出かけることができる。(夫が休みの日に限るけど。)
「台所育じい」のメリット・デメリット
メリットとして一番感じるのは、私の精神的な負担が減ること。減るのは負担よりも「不満」かもしれない。
単純に私の家事労働の負担を減らすのならば、強制的に作ってもらっても、外食してもいい。わざわざ「育じい」なんてメンドクサイことをしなくても。
でも「台所育じい」には、夫の家事への「理解」がついてくる。
「(夫)夕飯なに~?」「(私)何が食べたい?」「何でもいい。おいしいの!」
(それが一番ヤな返事なんだよっ!)と言いたい気持ちを飲み込んできた日々の会話も、
「夕飯何にする?何作る?」「〇〇はどう?」「いいね~OK」と変わるのだ。
「夕飯まだ~?」が「食事何時からにする?そろそろ作り始める?」になる。
結果的に「ほとんど私が作った」でもいいのだ。その気持ちがあれば。
仕事とは全く違うことを、集中して考えて、脳の普段使わない部分を刺激するのか、夫のブルーもいつの間にか解消していた。
職場で「休日の趣味は料理」に「ちゃんと片付けもする」を付け加えると、女性陣に褒められるらしく、いい気分のようだ。
それから、メリットとして挙げられるとすると、夫婦の会話が(嫌でも)増える。気まずい空気がいつまでも続かなくていいかもしれない。
デメリットはこちらの手の内がバレること。
私も、料理をきちんと習ったことなどないので、実は正しい調理法を知らなかったりする。質問されて焦ることがある。
さらに困るのは、手抜き料理がバレること。夫の好きなメニューを作った時「えっ?こんなに簡単だったの?」と拍子抜けしたらしい。
これは、私の師匠の立場が危ぶまれる事態だ。(あのレシピだけは教えないでおこう。)
「台所育じい」のススメ
おススメしている私も、まだ若い頃、夫が「ピザを作りたい」なんて言ってトライした時は「料理楽しいじゃん」なんて言われてカチンときていた。
材料も一からわざわざ揃え、台所はぐちゃぐちゃで片付けは私。
その上「こんな楽しいことやってればいいなら、主婦っていいよな~」なんて言うもんで、台所から追放したのだった。
そんな夫も、先日料理をしながら「毎日毎日ご飯を作ってくれて、ありがとうございます」なんてしみじみ言う。「台所育じい」の効果は計り知れない。
今日は偶然にも「いい夫婦の日」なのだそう。
今どきの若いお父さんたちは、すんばらしいお弁当を作っていたりして、時々ブログを拝見して、こちらが自信を無くしそう。
でも、アラフィフ世代は、まだまだの男性も多い。
実際の家事労働の負担割合が平等かどうかということよりも、共に生きるパートナーとして、家事を「自分のこと」ととらえる意識を互いに等しく持つことが、「いい夫婦」には大切だと私は思っている。
アラフィフの「じい」が、体験し理解するための「台所育じい」は、なかなかおススメだと思うのだ。
高校生の二男が「料理のできる男ってカッコイイよね。俺も料理できる男になりたい」と言い出した。
最近はチャーハンを極めようと、作り方をネットで(今どき!)勉強&実際に練習中。
よしよし。しめしめ。
私はこれからどんどん「楽ちん♪」になっていくのだ!作戦成功!
ほんさき
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