母がこの世を去って10年近くなる。
最期の言葉なんて言えなかった。母は眠っている間に静かに息を引き取ってしまったから。
カテゴリーが矛盾する
母のことに触れる記事を書こうとすると、自分は一体母についてどう思っているのか、未だに戸惑う。
不満と失望と怒りの対象であると同時に、いつまでも承認を求める相手であり、生きる上で大切なことを教えてもらった人でもある。
自分が大切にしている考え方やものの捉え方は、結局母の言葉がベースになっていることが多い。
ブログの記事を書く上で、母から受け継いだものが自分自身を形づくっているので、嫌でも親のことを考えたりする。
一つの考えに傾いて、辛かったことを同時に思い出して、なんでもかんでも嫌になってしまって、記事がちっとも進まなくなる。
「家族への愛情」みたいなカテゴリーと「辛い自分語り」のカテゴリーがついて、矛盾しているなと思う。
「幸せになること」が私の復讐
私は「幸せになること」が復讐だと思っていた。
私を踏みつけた者たち、嘲笑った人たちのせいで、私が眉間にシワを増やし不細工になって、自分を台無しにするなんて、
そんな風になってたまるもんかって思っていた。
長兄からの虐待から助けてくれなかった母、いつもダメだしばっかりで気持ちを聞いてくれなかった母に対しても。
私の復讐は、あんな人たちのようにならないこと、幸せになること。
許さないけれど、あんな人たちの不幸を願わないこと。
あんな人たちへのいかなる感情(怒り憎しみ悲しみ)にも振り回されず、囚われず生きること。
いつか、あんたたちの誰よりも幸せになって、色んなもの手に入れて、「ざまあみろ」って言うのだと。
だから先日、amazarashi 『未来になれなかったあの夜に』を聴いて
『醜い君が罵られたなら、醜いままで恨みを晴らして
足りない君が馬鹿にされたなら、足りないままで幸福になって』
という歌詞が胸に辛いくらい響いた。
「幸せになること」は親孝行
金曜ドラマ「4分間のマリーゴールド」を観ている。
もちろん横浜流星さん目当てで見始めました(;'∀')
アラフィフにして初めて「推し」を知る?~死ぬまで「食わず嫌い」を減らし続けて生きたい - 小石の眼から見た景色 あらかた50主婦のあったこと録
主人公の「特殊能力」とか「禁断の恋」とかがクローズアップされてしまっているけれど、家族や大切な人を想うことが描かれた優しいドラマだと思うんです。
第8話は、お母さんの回だった。(ネタバレあります)
写真家の仕事が忙しくて&楽しくて家を空けがちなシングルマザーと、そんな(仕事を愛する)母だからこそ大好きで、寂しさを隠す娘。
小学生の頃渡せなかった宿題の手紙「ありがとうを3つ」は、時を経て母の手に渡る。
きれいな写真をありがとう
お土産たくさんありがとう
帰ってきてくれてありがとう
母は、結婚の決まった娘に手紙の返事を渡す。
生まれてくれてありがとう
待っていてくれてありがとう
幸せになってくれてありがとう
あれれ?幸せになってくれてありがとうだってさ。
でも、自分も子ども達に対して、きっとそう思うだろう。
復讐のつもりで、見返してやるつもりで頑張ってきて、親孝行になっちゃったよな。と思った。
矛盾する思いを受け入れる
物ごころついた頃から、病弱な母は、頼る相手でありつつも守るべき対象だった。
いつも「きついきつい」と言って寝込むので、ワガママもあまり言えなかった。
弱い者いじめみたいで、反抗する気にもなれなかった。
母はいつもいつも長兄をかばい、私が高校生の頃、一旦家を出た長兄を呼び戻そうとした。
私は、親の希望を叶えるふりして進学で家を出なければならなかった。
何よりも自分の身を守るため、たとえE判定でも覆さなければ、またあんな日々が訪れる。
介護が必要になってからも、母は逃げるように音信不通となった長兄をかばい続けた。
私にばかり無理難題を要求する母に、何度もブチ切れそうになった。
怒りの感情ばかりに支配されていたけれど、ドラマを観て、ちょっと思い出した感情があった。
小学生の頃、初めて一人で家族の夕食を用意できた時、私は自分が誇らしかった。
嬉しかったのだ。母の役に立てて。
やらされていたというより、その嬉しさで踏ん張っていたのだったかもしれない。
介護できたことは、できないより幸せな面もあった。
その根底にある思いが何だったにせよ、踏ん張ってきたから今の自分があった。
全てじゃないけれど、悪くない一面もあった。
そうか、矛盾していても仕方がないし、それでいいのかもなと思う。
復讐を成し遂げたと思うよりも、親孝行できたと思う方が気分が良いかもしれない。
母に対する自分の感情の矛盾をそのまま受け入れることが、許すことに近いのかもしれない。そんなことを考えている。
ほんさき
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