小石の眼から見た景色 あらかた50主婦のあったこと録

その辺に転がっている小石のあれこれ体験録です。

勝手に傷つくのは花粉症のよう

 読者登録しているブログが、ある日突然非表示になりドキリとする。なんてことが時々ある。
私は、何か気に障ることをコメントしただろうか?
最近の私の記事で、何か傷つけてしまう言葉があっただろうか?と胸の奥がチクリとする。

他ブログに移行中だったり、うっかりミスであることが後に判明して、「どんだけ自意識過剰なんだ、私は」と一人で苦笑いする。

 

「ほんさきさんは、私のことを嫌っていると思うの。」
大学生の頃、同じ科のM子さんがあちこちで吹聴していた。まことしやかに。悲し気に「傷ついている」と。

しとやかで可愛らしい、まぁ、つまり私と正反対なタイプのM子さんの取り巻きの学生や正義感の強いTさんに、「どうして嫌ってるの?」「ひどいんじゃない?M子さんが可哀想。」と責められた。

「どうして?」こちらが聞きたかった。
なぜなら、私はM子さんとほとんど接点が無く、口をきいた記憶と言えば、廊下で会った時「おはよう」と挨拶したくらい。
それでどうして、何をもって「自分のことを嫌っている」と断定してM子さんが傷ついているのか、全くわからなかった。

確かに私は人付き合いが良い方ではなく、数少ない友人以外の多くの人に対して、M子さんだけに限らず、ベタベタせずに接していた。
当時は自分の卒論やバイトや家庭の事情で忙しかったから、他人に構っている暇もなく、他人について何か言ったこともないし、ましてや何か嫌がらせする暇なんてなかった。

でも、「ほんさきさんなら、さもありなん。」って思われるような人間だったのだろうか?と悩んでしまった。

次に廊下で会った時、「嫌ってなんかない」って思ってもらえるよう、細心の注意をはらい振る舞うべきなのだろうか?
彼女が気にしないよう、とびきりの笑顔で挨拶して、彼女の喜びそうな話題でもふるべきなのだろうか?
そんな気もないのに、「今度遊ぼうね」なんて言わなきゃならないんだろうか?私は。

彼女を傷つけないために。

誰もかれもが自分を責めているような気がして、ただ存在しているだけで他人を傷つけているようで、独り暮らしのアパートに引きこもって悶々とした。と言ってもほんの数日。

私は自己肯定感が低い。今もそこそこに。
例えば、ほとんどの人は、ただ生まれてきただけでボーナスポイントが100万ポイントくらいもらえて生きていくけれど、
私は生まれてきたことが迷惑で、マイナスポイントついて生まれてしまって、何とか頑張ってプラスマイナス0にして
「いない方がいい」から、せめて「いてもいなくても構わない」にならなくちゃ。
子どもの頃から、そんな気持ちを抱えていた。 

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プラマイ0にしたいのに、何をしたおぼえもない相手が「傷ついている」と言っている。どうしたらいいのかわからない。

私が誰か他の人に発した言葉が聞こえて、傷ついたのだろうか?
私の目つきや、きつく見える凛々しい眉毛が怒って見えるのだろうか?
彼女が楽しい時に、近くで私がブスッとしていたことでもあったのだろうか?
彼女が寂しい時に、私が友人と楽しそうに話していたことでもあったのだろうか?

でも、そうだとしたらさぁ、彼女の「傷ついた」は何だか勝手だ。

私は部屋を出た。ほんの数人でも「わかってくれる人がわかってくれればいいや」と開き直って。

そして「取り巻き1号」に言ってみた。
「私はM子さんのことを好きでも嫌いでもない。判断できるほど彼女のことを知らないから。
『嫌い』と聞こえるなら、それはM子さん自身の心の声なんじゃないかと思うよ。
むしろ、逆にM子さんの方が私を嫌ってるんじゃないのかなって、私は思うよ。」

チョロチョロしている「取り巻き1号」は、その後M子さんに言ってみたそうな。
そして、M子さんは「そうかもしれない」って言っていたんだと。

私が言いたい「勝手に傷つく」は、
「冗談のつもり」とか「ちょっとイジる」 とか、「かわいがり」とか「酒の席の事ですし・・」とか
そういった、実際不快な思いをさせる行為を故意に行っているのに、
言い訳に使う「そんなつもりじゃなかった」「相手が勝手に傷ついた」とは断じて違う念のため。

 

年齢を重ねても、ビクビクしている。

以前の住居のお隣さんは、独身の娘さんが私と同じ年。
「あなたは結婚して子どももいて、同じ年なのにうちの娘は・・」と顔を合わす度に暗い顔をされた。
「私がいると、娘さんもたまったもんじゃないだろうな。」と後ろめたい気持ちになった。

以前の職場の休憩室では、子どもの話題を出していいのかわからなかった。
「子どもの写真つきの年賀状って傷つくよね~。欲しくてもできない人だっているのにさ。」って言ってたから、あの人には言わない方がいいのかもしれない。

思ったことをブログに書いたら、誰かがどこかの文字で傷つくかもしれない。それが誹謗中傷ではなく幸せなワードでも。誰かを励まそうと生み出した言葉でも。

他人が一体何に引っかかって傷つくのかなんて、もうわからない。
他人を傷つけないようになんて生きられないんじゃないのかな。私だけかな。

 

そして、実は私自身、かなり勝手に傷ついている。 

患者さんが目をそらしただけなのに、「斜視が気持ち悪かったかな?」と勝手に凹んでしまう日がある。

新聞で「妻が正社員かパートかでの生涯収入が・・」なんて記事を読むと「だってさ」って思いながら、勝手に自分にダメ出ししてブルーになる時がある。

テレビのコメンテーターが言っていた。「自己肯定感を持てず育った人間は、他人を信用できない」と。あぁ私は人間としていかがなものかと言われちまったよ。

50代の充実した素敵な日々を綴ったブログを読んで「自分って何やってんだろう」と、何故か辛くなって、そっと記事を閉じることがある。

 

勝手に傷つくのは花粉症のようだなと思う。
自分の心に刃を向けているのは、実は自分に他ならない。

花粉は本来無害なもの。植物にしてみれば、ただ自分の生を全うしているだけのこと。

勝手に傷つくのは、自分の過剰反応で、そして自己防衛。
自分の中に価値観や願望があって、そして不完全燃焼していて、
何かを引き金にして過剰に反応して、自分の心を傷つけている。そんな気がする。

引き金には、本来罪はないのだ。「傷ついた」と言って責める相手を間違えてはいけない。

 

症状が悪化しないように、花粉の侵入をできるだけ防ぐ。
規則正しい生活で、自分の体質を改善する。 

そんな花粉症対策のように、
辛い時は、しばらく他の人やネットからも離れてみる。

自分は一体何に反応しているのか、自分の中で引っかかって、燻っているのは何か。
自分はホントはどうしたいのか。
自分の気持ちを聞いて、そして、時には自分を許しながら過ごした方がいいと思っている。
自分で勝手に傷つかないように。
辛すぎて誰かのせいにしないように。

ブログに思いを書くことは怖くもあるけれど、誰を傷つけるつもりもない。
でも、言葉を慎重に選んでいるつもりだけれど、発した後は受け取る相手に委ねるしかない。
わかってもらえるといいなと思いながら、ドキドキしながら、書いたり消したり「一体何時間やってるのさ」と思いながら書いている。
 

ほんさき

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