小石の眼から見た景色 あらかた50主婦のあったこと録

その辺に転がっている小石のあれこれ体験録です。

実母が「認知症」かと思ったら「軽い鬱状態」だった話~離れて暮らす実親の介護5

 離れて暮らす実親に介護保険の利用を勧め、本格的に遠距離介護が始まったのは、父の入院がきっかけでした。 

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でも、その数年前(70歳前半)から、少しずつ「母の言動がおかしいな?」と思ってはいたのです。
※約10年前に他界した、実母の話です。

母がもしかして認知症に?

時々様子見に帰省していた私。ある日、覗いた電子レンジの中には、皿に乗った何やら「緑+茶色」の物体が。
ゾワワヮヮ・・Σ(゚д゚lll)
こっコレは、一体、いつ、何を温めたのでしょうかー!?

いや、でも、私だってあるわ。うっかり入れっぱなってことくらいさぁ。
不安のあまり、無理やり自分を納得させようとするものの、意識すると「そう言えば・・」と気になるところが目につきます。

★割と料理が得意だったハズが、近頃、作る料理がワンパターン。メニューがぐんと減っている。

★冷蔵庫の中は、同じものが複数個。その割に種類は少ない。(パック入りモズクばっかり、やたらある。)

★以前からだけど、更に片付けられなくなって、居住スペースが減る一方。
机の上も下も、ソファーも、棚の上も「ちょっと置き」の紙やら箱やらが山積みに。

★耳が遠くなったのかと思うほど、人の話を理解していない。会話がちくはぐ。(でも聞こえてはいる。)

★私の息子たち(孫)の名前が覚えられない。(これは最期まで間違ってた(-_-;))

まぁ、年相応よね。
と信じ込もうとしたのだけれど、ある時、
「今日は、静かね~。いつも大きな車が前の道を通るから、うるさいのにね~。」
と母が言い出して、おかしいと確信しました。

何故なら、近くに大きな車が通る道があったのは、数年前に引っ越した前の家のことだったから。

父と顔を見合わせて、「もしかして認知症?」と、呆然としたのでした。 

脳のCT画像の衝撃

それからすぐ、父が骨折し入院したため、慌てて介護保険の申請をすることに。

かかりつけの医師にも相談して、両親とも脳のCTも撮り、認知症の検査をすることになりました。
が、母の検査は大変。

職員「今いらしている、ここがどこか、わかりますか?(答:病院)」
母「そんなの、説明もなく連れてこられたのに、わからないわよ!!」←しょっぱなから怒り出す。

職「では、97から3を引くと、いつくですか?」
母「・・ふふっ。さぁいくつでしょう?」←まさかの質問返し。

職「では、知っている野菜の名前を言ってください。」
母「白菜、大根、人参、・・・〇✖◎、△∞◇。え!?知らないの??本当にあるのよっ(怒)」←なんですか、その野菜(;'∀')?

「わからない」と言いたくないからか、プリプリ怒る母を何とかなだめて、検査終了。(この検査では、ボーダーライン)

 

呼ばれて医師の前に行くと、両親のCT画像がありました。
やはり、脳が委縮してスカスカ感のある画像。
「やっぱりな・・」と思っていたら、医師から衝撃の一言。

「これは、お父さんの脳の画像です。」

え??あの、歩行状態は悪いけれど、頭はしっかりして、話が通じる、頼りにしている父の脳がスカスカ??

「そして、こちらがお母さんの脳の画像です。委縮は全く見られません。綺麗で若い脳ですね。」

これを聞いて、プリプリ怒っていた母のご機嫌が一気に好転したことは、言うまでもありません。
そして、私が思わず「この画像、取り違えてません??」と言ってしまったことも。

医師によると、母の最近の言動は、「認知症ではなく『軽い鬱状態』によるものと思われる」とのことでした。 

明るく元気になったけれど

それから1か月近くは、怒涛のように過ぎていきました。

1人になった母が心配で、可能な限り、姉と私で交代で様子を見に帰り、 
介護保険申請のため、様々な人が来られて面談があり、
介護保険外のサービスを利用して、買い物&話相手のヘルパーさんに来ていただき、
配食サービスのお弁当が毎日届くよう手配。

そして、会う人会う人に
「私の脳は、綺麗で若いんですって!」 と嬉しそうに話す母。

気が付くと、母はすっかり明るく元気になっていたのでした。

会話も弾むし(おかげでお説教まで増えた(-_-;))、身ぎれいになり、ヘルパーさんにお願する買い物リストもしっかりしています。

ある時、帰ってドアを開けると、玄関に花が飾ってありました。

そう言えば、母は、私が幼い頃は、庭の花を摘んでよく玄関に飾っていました。
けれど、汚部屋と化していたこの家で、母が花を飾ったのは、これが初めてでした。f:id:honsaki:20200122173748p:plain

やがて、ようやく父の退院の見込みがたった頃。
「家に戻らせず、どこかで過ごすことはできないのか?」 と母が言いだしました。

そりゃぁお父さんが可哀想よ!と思いながら、話が通じるようになった母に詳しく尋ねたのです。
母の本音は、こういったものでした。

父の歩行状態は思いのほか悪く、頻繁にトイレが間に合わないことがあり、その度に、部屋、廊下、トイレの掃除。布団、衣類の洗濯も大変。身体がキツイ。

でも、トイレ失敗することを、子どもや他人(医師等)に言っては、可哀想(父が)だから言えない。

それ以外にも、怒りっぽくなって、耳も遠くなり、大声で怒られて怖い。

父が戻ってきて、また二人きりで生活するのは辛い。

 

「 母LOVE♡」で、母のためにも、一刻も早く退院しようとリハビリに励む父に「家に戻るな」なんて、まさかとても言えません。
母の認知症を疑わせる症状は「軽い鬱状態」で、その原因のひとつが父だなんてことも。

愛情の有無の問題ではない

この話に一番ショックを受け、どんより沈んでしまっていたのは、何故か私の夫でした。

「え?帰ってくるなって、それひどくない?お義父さん可哀想じゃない?
なんで?夫婦なのに?なんていうか・・愛情はないの??」

 

う~ん。これは愛情のあるなしの問題ではないんだよ。

いつもいつも排泄物を片付けなきゃならなくて、
それが専用の施設じゃなく、家で、居住スペースがいくら頑張っても臭ってきて
衣類も、普通の洗濯じゃ臭いなかなかとれなくて

ただでさえ、年で身体がキツイのに、作業は増える一方。
そして、子育てと決定的に違って、一体いつ終わるのかわからない。
先の見えない状態じゃ、なかなか踏ん張れないんだよ。

誰だって、身体が疲れちゃったら、心折れたら、夫婦の愛情だけでなんとかなんて、ならないんだよ。

「トイレの失敗を他人に言っては可哀想」と、父のプライドを守ろうとしたところなんて、結構愛情あるほうなんじゃないかな?

 

母の負担減を最大目標に、父に泌尿器科受診してもらい、トイレの失敗を減らせるよう
ベッドを導入し、夜間の尿瓶やオムツ利用を勧め、
防水シーツや専用肌着、洗剤も検討し、ヘルパーさんに洗濯や掃除も依頼・・。

思いつく限り、外部サービスを利用して、他人にも頼って、無事退院の運びとなったのでした。

それ以降、母は最期まで認知症のような症状がでることはなく過ごしました。
ただただ、マイペースではありましたが。

そして、時々、帰ると玄関には庭の花が飾られていたのでした。

ほんさき

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