小石の眼から見た景色 あらかた50主婦のあったこと録

その辺に転がっている小石のあれこれ体験録です。

私の中の「暴れん坊将軍」と「Nobody Is Right(中島みゆき)」~「正しい人」はいない

子どもの頃、両親が観ていた隣で時代劇をよく観ていた。

「水戸黄門」も、「大岡越前」も、「遠山の金さん」も好きだったけれど、私は断然「暴れん坊将軍」が好きだった。

 悪い奴らを「成敗」できる痛快さ

 「暴れん坊将軍」と書くだけで、あのオープニング曲が耳に蘇り、白馬に乗った松平健が目に浮かぶ。

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 水戸黄門の「助さん」も「弥七」もカッコ良かったし、大岡越前のクールで知的なところも素敵だと思っていたけれど、
「貧乏旗本の三男坊」だと偽って江戸の街に紛れ込む、実は8代将軍「徳川吉宗」という設定は強かった。

当時の社会の中で、問答無用で一番偉い。だけど優しくて、そして強い。おまけに男前!!

水戸黄門の「印籠」の紋所に、悪い奴らは「ははぁぁぁーーっ」 と頭を下げるけれど、
時々「うおりゃー!」とやけくそになって反逆する輩もいる。それでも基本的には「峰打ち」だ。

けれど、「暴れん坊将軍」の「新さん」は、なにしろ「上様(=将軍様)」なのだ。 

一番あくどい、胸糞悪いヤツは、上様の「成敗!」の一言で、お庭番に成敗される。
心正しい、一番偉い人が、一部始終を理解してくれて、「裁き」などすっとばして成敗してくれる痛快さ。

以前の時代劇は 勧善懲悪
善悪がはっきりしていて、観ていてスッキリするものだったけれど、「暴れん坊将軍」はその中でも格別だった。

自分の中の「暴れん坊将軍」

子どもの頃から薄々感じてはいたけれど、私の中には「暴れん坊将軍」がいる。

何かあると、シロかクロか、「正しい」か「正しくない」かで判断し、正しくなければ「成敗」しようとしてしまう感情がある。

そして、その感情は、他人だけでなく自分自身にも向く。

小学生の頃、好きだった先生が「間違いに対して厳し過ぎる面がある」と危惧してくださっていたのは、きっとこのことなのだろう。 

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例えば、ある日、夫(結婚前)とデート中のこと。
青信号になり、渡ろうとした時、やんちゃ風な車がギリギリのタイミング(完全に信号!!)で通り過ぎた。 

「スピードを緩めずに交差点に近づいてるな~」と思いつつも、しっかり車にガンを飛ばしながら渡ろうとしていた私を、夫が大慌てで止めてくれた。

しかし、私の中の「暴れん坊将軍」はブチ切れていた。
「はぁ?悪いのはアイツらでしょっ!! 」
私「事故起こして、警察にとっ捕まったらいいのよ!!」

夫「あのね、アイツらが悪いけど、ぶつかったらあなたが負けるから。怪我するでしょう(;´・ω・)」
夫「車とはケンカしないでくれる?(;´・ω・)」

 夫の言う事は、いちいち全て、ごもっともだったのに、それでも私はプリプリ怒っていた。(こんなのと、よく結婚しようと思ったわねぇ・・。)

若い頃は特に、一事が万事、結構こんな調子。

私の中の「暴れん坊将軍」は、いわゆる「融通の利かないヤツ」でもある。
でも、心の中で、「そんな自分が嫌いじゃない」と思っている自分もいた。 

J先生の言葉 

「正しさ」にこだわろうとする私は、相当危なっかしかったのだろう。 
学生時代に大変お世話になった先生に、言われたことがある。 

「ほんさきさん。
『世の中の人が、皆、自分みたいな人間だったら良いのに』と思うでしょう?」

「『悪いことしたり、ズルしたり、怠けたりしないで、正しく生きる人ばかりだったら良いのに』と思うんじゃないですか?」

「でも、その考えは、怖いですよ。」

www.honsaki.com 先生に、せっかく笑顔でそう言っていただいたのに、その時はちっともわからなくて、
何だか非難されている気がして黙り込んでいた。

「あぁ、そう思ってるよ。そう思って何が悪い?

悪事を働いて人を傷つける人間や、
自分が楽するためにズルしたり、怠けたり
人を陥れる人間などいなくて、

誰もが『正しく』生きようとしていれば、

世の中もっと平和で生きやすく、
人は皆幸せなんじゃないの?」

と内心思いながら。

「Nobody Is Right」現代に上様はいない 

中島みゆきさんの 「Nobody Is Right」という歌がある。

私の中の「暴れん坊将軍」は、その歌詞に思い切り平手打ちをくらった。
T先生が心配してくださった事、
J先生のおっしゃりたかった事は、こういうことかもしれなかった。 

www.uta-net.com 

Nobody Is Right

Nobody Is Right

  • 中島みゆき
  • J-Pop
  • ¥255
  • provided courtesy of iTunes

アルバム「前途」には、Liner Notes が付いている。
その「Nobody Is Right」の部分の一部を引用させていただく。

・・・
人間には無限ともいえる数の「正しい」がある。

「俺は正しい」が故に「俺から見れば正しくない」ものに対してのどんな攻撃も正当化されるなら、人類には戦争世界しか残らない。
・・・

 アルバム「前途」Liner Notes:中島みゆき

 

私が「正しさ」にこだわり、ともすれば「成敗」しようとしていたのは、抱えていた鬱屈や不満を、ただぶちまけたかっただけなのだ。

『争う人は、正しさを説く』と、みゆきさんは歌っている。

『その正しさは気分がいいか
正しさの勝利が気分いいのじゃないのか』
と。

私は、ただ「成敗」し、「勝利」したかっただけ。「私から見れば正しくない」ものに。

無限の「正しさ」があり、「正しさ」とは「成敗」を正当化する道具じゃない』のに。

J先生のおっしゃるとおり、確かに、私のような、その考えは怖い。

先日25年を迎えた「地下鉄サリン事件」。
私は、幸い難を逃れたけれど、当時、事件が発生した駅は、職場の最寄り駅だった。

あれは、ある意味「彼らから見れば正しくない」世の中や人間を「成敗」しようとしたとも言える事件。

「正しさ」にこだわっていたハズの私は、ほんの数十分の違いで、
「彼らから見れば正しくないモノ」として「成敗」されるところだった。 

 

「『自分から見れば正しくない』ものに対してのどんな攻撃も正当化される」ような気がするのは、怖いことなのだなと、今はわかる。

現代に「上様」はいないのだ。そして、いない方がいい。 

ほんさき

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