「僕は、何か病気なの?」
長男に尋ねられた時、私は言葉に詰まってしまった。
無料相談を受けた民間の支援施設は海の近くで、帰りのバスを待つ間、海辺で遊んでいた。
「波が大きな音をたてるけれど、大きな音が苦手な長男も、自然の音ならば苦にならないんだな~」
と、笑顔の長男を見ながら、ぼんやり考えていたところだった。
本人が疑問を抱き始める
それは、長男が小学校4年生の頃。
長男は、3歳の頃から小学校に上がるまで、毎年1回、県の施設で発達相談を受けていた。
当時は幼かったうえに、保育園は帰る時間が皆バラバラだし、
「何故か自分だけ、親と先生と一緒にどこか遊びに行く」ことも、気にしている様子はなかった。
小学3年生が終わる頃トラブルが増え、4年生になって、久々に県の施設に出向いた。
その後、職場の上司の紹介の支援施設にも足を運んだところだった。
放課後に行ける時を選んだけれど、さすがに4年生ともなれば、
「他のクラスメイト達は行っていないようだ」「一体、なぜ自分はそこに行くのか?」
と、疑問を持つのは当然だった。
「保育園の頃行っていたから、久しぶりに様子を見せに行くんだよ。」
「元気かどうか、確かめに行くんだよ。」なんて言葉で連れ出したけれど、
疑問を抱き、本人なりに出した答えが「自分は病気なのか?」だったのだろう。
それなのに、私は思わず「そんなことないよ」と、その場しのぎの言葉で誤魔化してしまい、
長男は「ふ~ん」と言って、また波と戯れていた。
いつ、なにを、なんと伝えるべきか迷う
長男が、どんな思いで「自分は病気なのか?」と尋ねたかと思うと、誤魔化してしまったことが心苦しかった。
そして、いつか、本人にきちんと伝えなければならない日が来るのだと思って、ハッとした。
私は、そのことについて考えたこともなかった。恥ずかしながら、その時まで。
長男の発達凸凹に悩み、奮闘していたつもりなのに、やっぱり心のどこかで「個性の範囲」にしがみついていた。
だから、伝える必要性を考えつきもしなかったのだ、私は。
けれど、「いつか、本人にきちんと伝えなければならない日が来る」としても、一体いつ、なにを、なんと伝えるべきか。
伝えるにしても、本人のためにならなければ意味がない。
ただ傷つき、自己否定につながってしまうのなら、言わない方がマシな気がする。
受入れやすく、傷つかず、これからを生きていくために「聞いておいて良かった」と思えるような、
そんな言葉が、その頃私にはわからなくて、大いに迷った。
人とは少し何か違うことを、前向きにとらえる言葉が見つからない。
「どうせ自分はダメなんだから」と諦めてしまわないだろうか?
私は、必要性を感じつつも「今じゃなくてもいいんじゃないか?」と、逃げてしまっていた。
本人へ告知する
長男が中学生になった頃、私は、とあるブログに出会うことができた。
ある日の夜。ほとんど口をきいてくれなくなっていた長男に、思い切って告知した。
3歳の頃から、他の子と少し発達が違っていると言われてきたこと。
県の施設に通ったのは、発達相談を受けるためだったこと。
結論としては、「個性の範囲」と言われたけれど、「発達凸凹でグレーゾーン」であること。
「つまり、僕は『変』で『おかしい』ってことだろ。」
長男は大してショックを受けた様子も見せず、「フンっ」と鼻で笑った。
他の人と比べて「変」で「おかしい」ことくらい、もう十分わかってる。
もう十分、言われてきた。そんなこと。
さあ、なんと言おうか。本当に伝えなければならないことを。
私が、本当に伝えたいことを。
「あなたは何も違わない。何もおかしくない。普通の人だよ。」とは言えない。
「変だ」と言うより、「違う」んだよ。
「変わってる人」と言うより、多くの他の人とは「違うところがある」んだよ。
それは、持って生まれたもので、「治る」ものではない。
ただし、「違う」けれど、「違う=悪い」ではないんだよ。
例えば、音や光やニオイの「感じ方」も違うのかもしれない。
あなたにとっては、耐えがたいヒドイ音に感じても、他の多数の人は特に気にならない音なのかもしれない。
みんなが楽しそうにしている休み時間に、ざわざわした教室にいるだけで疲れるのは、
あなたが「おかしい人」じゃなくて「違う」からかもしれない。
逆に、あなたが何とも思わないことを、他の多数の人は「苦痛だ」と感じるかもしれない。
あなたが嬉しい時の表情は、他の多数の人から見れば「無表情」の域を出ていないかもしれない。
そして、今の日本では、あなたのような人は少数派。
他の「多数派」の人たちに、変に誤解されないための、努力は必要だと思うよ。
受け入れられ、この世界で生きていくために、「違う」ことを理解しなければならないし、
「違わない人」と平等に、競わなければならないこともあるんだよ。
そして、何度も言うけど「違う」から悪いんじゃない。ただ、「違うところがある」だけ。
私たちにとっては「違うところがある」けど、大切な息子だよ。
そして、「地球人なりきりスーツ」の話をした。
『火星人』のままでいい。『火星人=悪』ではない。
『地球人』にならなくていい。
なれない自分を卑下しなくていい。
スーツを着こなす練習をするのは、『火星人』のままで、地球で平和に生きていくためだよ。
長男は、「ふ~ん」と、少し戸惑ったような顔をしていた。
もう少し早く、長男が他者との「違い」に苦しみ、自己否定の気持ちを抱いてしまう前に、
ちゃんと伝えることができたら、もっと良かった。私は逃げずに。
でも、少し遅かったけれど、伝えられて良かった。
「あなたのことが大切だ」と。言えないままでいるよりは、ずっと。
★★★ おことわり ★★★
発達凸凹・グレーゾーンの特性やその程度は、非常に個人差があります。ここで書いていることは、あくまでも私の息子の事例にすぎないという点を、ご理解くださいますようお願いいたします。
★★★ ★★★ ★★★
ほんさき
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