父は、娘心ってものがどうにもわからない人だった。
タコさんじゃないウインナー
幼稚園の頃、友達のお弁当に入っている「タコさんウインナー」に憧れていた。
赤くて可愛らしいウインナー。
そもそもウインナーなんて、食べたことがなかった私は、事あるごとに「タコさんウインナー食べたい」と言っていたのだろう。
ある時、父が帰宅途中に、街でウインナーを買ってきてくれた。
「今日のお弁当、ウインナーだよ」と言われて、朝からウキウキ。
ワクワクしながらお弁当箱を開けると、タコさんは不在で、代わりにベージュ色の何かが入っていた。
それが、ウインナーだとわかるまで、しばらく呆然とお弁当を見つめた。
帰宅して「美味しかった?」と聞かれて、タコさんじゃなかったショックを隠して、「美味しかったよ」と答えた。
真っ赤じゃないサクランボ
惚れっぽい性格だったのか、私はサクランボにも憧れていた。
プリンに乗っかっている食品サンプルを見たことはあるけれど、食べたことが無い、真っ赤なサクランボ。
生っているさまは見たことがないけれど、二つの丸い実の軸がつながった、可愛らしい果物。
これまた、事あるごとに「サクランボ食べてみたい」と言っていたのだろう。
ある時、父が出張先の山形県で、お土産にサクランボを買ってきてくれた。
「ほら、サクランボ」と渡された、小さなパックに入ったソレは、つやつやしたどちらかというと黄色の果物だった。
爽やかで、甘酸っぱい、美味しいソレは、でも、私の中では「サクランボ」ではなくて、本当はちょこっとガッカリした。
花火を見たいんじゃない!
高校1年生の夏、町内の花火大会に、初めて友人たちと出かける約束をした。
小中ずっと一緒だった幾人かの友人と、学校が別々になる経験が初めてで、
「久しぶりに会う」という初体験にワクワクしていた。
家を出るという時になって、父に見つかり「行ってはならん!」とダメだしされた。
当時、何らかの地域の役員でもしていたのだろう。
父は、花火大会でパトロールすることになっていたらしい。
「親がパトロールしているのに、娘がウロウロしていたら恥ずかしいだろう!」とか何とか言われ止められた。
当時、父の言うことは絶対だったので、友人に断りの電話を入れ、部屋に籠った。
危ないからとか、こんなところがダメだからではなく、「自分が恥ずかしいから」という理由に猛烈に腹が立って、
初めてハンストした。
しばらくして、母が様子を見に来た。
「『あの子は、そんなに花火が見たかったのか?連れていってやるから、出てきなさい。』って、お父さんが言ってるよ。」
「私は、花火を見たいんじゃない!!」
花火大会に行きたがっていたのに、花火を見たいんじゃないという、娘の謎の発言に
父は「???」となっていたと、後から聞いた。
互いの気持ちがわからなくてもイイ
当時、父は「食品添加物」の危険や「環境汚染」の問題などに敏感で、父の前でカラフルな食べ物はご法度だった。
インスタントラーメンやコーラも、危険だと遠ざけられ、逆に憧れになってしまっていた。
そんな娘心を、父はちっともわからない人だった。
いつも「正しい」か「間違っているか」で判断する、相手が自分より偉くてもハッキリ言う
そんな真っ直ぐなイメージの父がカッコイイと思っていた。
自分を勘定に入れずに、自分の損得抜きで考える、スーパーカッコイイ人だと思っていた。
そんな娘心を、父は知らなかった。
今でこそ、ウインナーは茶色が普通だけれど、当時、茶色の本格的なウインナーは珍しかった。
缶詰の真っ赤なサクランボは着色してあって、生のサクランボはやや黄色くて貴重だ。
娘を大事に思ってくれたからこそ、父は安心で安全と思うものを、わざわざ探して買ってきてくれた。
そんな父の気持ちを、私はわからなかった。
「自分が恥ずかしいから」と言いたくなるのも、わかる気がする。今なら。
でも、勝手にスーパーカッコイイ人に仕立てて、父だって色んな感情のある普通の人だと認められなかった。当時私は。
父は最後まで、娘の父として、頼もしくしっかりした人でありたいと、
迷惑をかけたくないと、ガンの痛みと闘っていた。
私は、大人になったと認めてほしくて、立派だと褒められたくて、1人暮らしを続ける父に、アレコレと口を出した。
娘の心父知らず、父の心娘知らず。
それでも、互いを思っていたら、その時わからなくてもイイのかもしれない。
当時の父の年齢に近づき、気持ちに少し寄り添えるようになり、思ってくれていたことを感じることはできるから。
父には、娘心ってものが、どうにもわからないままだったかもしれないけれど。
今週のお題「お父さん」
ほんさき
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