2020年の抱負を張り切って書いていた時、こんな上半期になるとは思ってもいなかった。
「死を想う」なんて書いたけれど、実はちっとも身近に感じてなんかいなかったのだと、読み返すと恥ずかしいくらい。
人生の終わりを身近に感じる
勤務する小さなクリニックも、ご多分に漏れず、新型コロナウイルスに関連して起こるアレコレに振り回されながらの上半期。
5月のある日、所在する市にも罹患者が出て、ますます気をつけなければと話していた矢先、
来院された患者さんの一人に肺炎症状があり、新型コロナウイルス罹患の疑いでPCR検査対象となった。
その高齢女性、「数日前から熱が出たり下がったり」とか、「数日前から息苦しい」などなど体調不良だったのだけど、
困ったことに、受付では「いつもの血圧の薬をもらいに来た」「体調も変わりない」と言われ、
解熱剤を飲んだことも話されないので、測定しても体温も平熱。
スタッフは当初「熱も体調不良もない、一般の患者さん」として対応した。
スタッフも罹っている可能性があるので、結果が出るまで家から出ずに過ごした。
医師や看護師と違い、受付はそこまで濃厚接触ではない。
それでも、時々頭をもたげる恐怖は、想像以上だった。
自分も罹っているかもしれない。
家族にうつしてしまうかもしれない。
今日は大丈夫だけど、明日は症状が出るかもしれない。
決して若くはないし、もしかすると、死ぬかもしれない。
結果が出るまで、人生の終わりをいきなり身近に感じた数日間だった。
※結果は陰性だったので取り越し苦労でした。
捨てる・捨てないの基準が変わる
「もしかすると、もうすぐ人生が終わってしまうかもしれない。」
と思いつつ、家に引きこもっていると、「あれもこれもしておかなければ!」と焦る。
「2020年の抱負」なんて書いたくせに、「骨を遺さない」ことについて、まだ何も動いていない。
二男にも、もう少し家事を仕込んでおくんだった。
暗証番号の一覧のありかを伝えておかなきゃ。あぁ、でもヘソクリもバレる(;'∀')
ブログとか、動画配信サービスとか、家族に内緒で楽しんでいたことはどうしよう。
いっそ、解約しておこうか。(バレると恥ずかしいし・・。)
いつか、ここぞって時に着ようと思っていた服、着ないまま死ぬかも。
勿体ながらずに普段も着ればよかった。
今度片付けようと思ってた、あの棚も、本棚も、片付けないと。
だって、「今度」なんて来ないかもしれない。
頭ではわかっているつもりで、言葉にはしていたけれど、
「自分も、明日死ぬかもしれない。」という事実を、
実感はしていなかったのだと、しみじみ思った。
大丈夫だとわかってからも、片付ける時の「捨てる・捨てない」の基準が変わり、以前よりかなり思い切って処分し始めた。
「お母さん、これ、なんで保管してたのかな?」と、家族が処分に困るようなものはスッパリ捨てておこう。
「いつか」は、来ないかもしれない。
そもそもアラフィフだし、「いつか」や「そのうち」は、実はもう、あまり残っていない。
「必要になる時があるかもしれない」なんて、ぐずぐず溜め込んでいたモノを、ぼちぼち捨てている。
衣装ケースいっぱいの手紙
若い頃、手紙を書くのが好きだった。
オシャレなレターセットを買うのも、楽しみだった。
中高生の頃は、毎日のように授業中に友達と手紙のやり取りをしていたし、
毎日たわいもない話をしている友達に、面と向かって言えない思いのたけを綴ったりしていた。
もらった返事は、どれも思いやりに満ちている。
メールと違い、自分の送った文面はわからないのに、返事を読み返すと、
当時自分が何に迷い、悩み、何を考えていたのかが思い出されて、赤面してしまう。
故郷を離れてからも、数人としばらく文通していた。
そんな思い出の手紙は、社会人としてスタートした時も、結婚した時も荷物と一緒に運び、
今は、衣装ケースに入って、家の倉庫的な一角にひっそり置いてある。
衣装ケースいっぱいの古い手紙を、処分するか迷っている。
思い出の詰まった手紙を、捨ててしまうのは忍びない。
本当に時々ではあるけれど、読み返すことがあると、懐かしく、温かく、
自分の心の深いところで、自分を支えてくれている何かを感じる。
だから、捨てられずに、ずっと残していたのだけれど、
自分が死んだ後、家族の目に触れるのは何だか恥ずかしいし、
家族に捨てさせるのは、申し訳ない気がする。
家族にも、手紙の主に対しても。
決断は急いだ方がいいのだけれど、下半期、もう一度、じっくり読み返して、
「ありがとう」と感謝を込めて、処分しようかなと思っている。
今週のお題「2020年上半期」
ほんさき
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