「傷付くことを肯定される」と言うのは、ちょっとおかしな表現かもしれないのですが。
米津玄師さん「STRAY SHEEP」インタビュー記事
いまだに繰り返し見ている金曜ドラマ「MIU404」の主題歌「感電」が収録されていることがきっかけだったのです。
加えて「アンナチュラル」の主題歌「Lemon」も、 「ノーサイドゲーム」の主題歌「馬と鹿」も、
菅田将暉さんに提供した「まちがいさがし」も収録されてる!
「これは買うしかない!」と、久々にCDを購入したところすっかりハマって、最近はこればっかり聞いています。
↓ ↓アルバム内全曲サラリと聞けます↓↓
音楽については、全く詳しくないので、ただ「全曲好きだ」としか言えないですし、
米津さんについても詳しく知らなかった「にわかファン」ですが、
たまたま目にした読み応えありのインタビュー記事に、優しさを感じて、
米津玄師さんも、アルバム「STRAY SHEEP」も、ますます「好きだな~」と思ったのでした。
傷付くことを肯定された気がした
インタビュー記事を読み進んで、ハッとした文章がありました。
宝石は偶発的に石として生まれて、人間の手で発掘されて、いろんな研磨やカットを経て美しい形にたどり着く。
それって要は原石を傷つけることだと思うんです。それで美しく形を整えるということは、本質的には傷を付けることに近いと思っていて。同じように人間も生まれた瞬間は球体で、そこから家庭環境や友達付き合い、いろんな外からの刺激によって傷が付いていく。
丸だった形が変化して、摩耗したり研磨されたりして、たくさんの傷が付いて、形が角ばって、
それによって光が反射する宝石になっていくんじゃないかと。
そんなふうに思うんです。(引用:米津玄師「STRAY SHEEP」インタビュー )
※赤字はほんさきによるものです。
何となく、今まで「玉の様」であることが、人として最良であり、人として幸せであるような気がしていたのです。
傷が付いてしまったら、価値が下がってしまうような。
そのため、
イヤなことも辛いこともそれなりにあって、自分の中のイヤな部分にも傷付いて、
何だか傷だらけな自分が、醜くて、汚れているような気がしていたのです。
「傷付いたことがある人は、人に優しくなれる」と言われても、ちっとも優しくない自分もいて、怖いくらい自己肯定感が低かったのです。
けれど、たくさんの傷がついて、結果、「光を受けて輝く」とは。
傷付いてこそ「宝物」になるなんて、考えたこともありませんでした。
「傷付いていいんだな」と、傷付くこと、傷付いてきたことを肯定された気がしたのです。
インタビュアーの方のおっしゃるとおり。 ↓↓↓
──聴き手にとっては、この「STRAY SHEEP」は、まさに米津さんがおっしゃったように、宝石のようなアルバムとして受け取ることができるのではないかと思います。
特に心に傷を抱えていたり、なんらかの抑圧を受けてきた過去を持っている人にとっては、そうやって育ってきた自分を1つの宝石として捉え直すきっかけになるかもしれない。最終的にはどうしてもそういう人のほうを向いてしまうんですよね。
傷つきやすかったり、些細なことでひどく沈みこんでしまうような人たちに対して、自分はどんなことができるのか。(引用:米津玄師「STRAY SHEEP」インタビュー )
※赤字はほんさきによるものです。
傷がついているからこそ、傷付いてきたからこそ、光を受けてキラキラと光るのかもしれない。
自ら光るタイプじゃなくても。玉のような美しさではなくても。
なんて思ったのでした。
「傷付くこと」「傷付けること」を恐れ過ぎずに生きる
米津さんと、影響力も何もかも全く違う自分になぞらえては申し訳ないのですが、
もう一つハッとした文章がありました。
いろんな人に聴いてもらいたいと思うこと、自分の音楽が大きく広がっていくことって、なんて浅ましいんだろうと考えたりもする。
それによって、意図しないところでいろんな人を傷つけたりするし、
聴いてくれる人が増えれば増えるほど、
ポジティブに捉えられることを発したとしても、そのこと自体に拒否反応を示す人もいるわけで。
・・・・・
少なくとも、そういうものを担ったうえでエンタテインメントとして美しいものを作り続けていきたいという意識がより濃く出たアルバムになりました。(引用:米津玄師「STRAY SHEEP」インタビュー )
※赤字はほんさきによるものです。
人として生きていくということは、人と関わっていくということだと思うのです。
その中で、どうしても傷付きもすれば、傷付けもする。
故意にではなくても、相手の立場や気持ち次第で、自分自身が加害者のようになってしまうこともある。
傷付くことが怖くて、関わりを避けて閉じこもったり、
傷付けることが怖くて、思っていることを何も言えなくなったり、
そんなことが、自分自身もあったし、
今でも、人を避けて閉じこもりたくなるような気分の時もあります。
ブログの文章を綴ることも、ブログを訪問することからも避けてしまう時もあります。
それでも、やっぱり外に出て、人と関わってこそ
傷付いて、傷付けることにも傷付いて、輝くものになれるのかもなと思いました。
それに、いくら宝石になっても、光を受けなければ輝けない。
米津さんのインタビュー記事について、もともと記事を書きたいと思っていたのですが、
今こんなことを書いているのは、いつも拝読させてもらっている子育て中の方が、
ブログ記事や相手の反応で悩んでいらっしゃったから。
勝手にエールを送りたくなったのです。
(お断りせず掲載するのは心配だったので具体的には言及していません。)
直接でも、ブログ界でも
人と関わるって難しいですね。
ほんさき
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