それは、20年程前のこと。
発達凸凹長男が2歳になろうかという頃の、ある夕暮れ。
孤独な母親だった頃
「お子さんが病気の時、頼れる人がいないのでは、ちょっと…」と言われ、育児休業後の復帰は叶わなかった。
近所のコンビニのアルバイトの面接に行った時も同じことを言われたけれど、
「まあ、そうだよね」と、その理由に自分でも納得してしまった。
あの頃、社会から「必要ない人」と言われていると勝手に思い込んで、心の奥は落ち込んでいた。
発達凸凹の長男は、当時まだ診断前。
何となく感じる違和感を、母親である自分の育て方が悪いのだと抱え込み、
自分を「母親失格」だとひたすら責めていた。
www.honsaki.com近所は子どもが少なく、子どもがいたとしてもほとんど共働き家庭で保育園に通っている。
長男は、凸凹の特性で自治体主催の育児サークルにもなじめない。
「魔の2歳児+発達凸凹」の育児+専業主婦 → 孤独
その頃の私は、知らず知らず、こんな状態に陥っていた。
車&電車好きの長男
長男は車と電車が特に好きで、家はミニカーと電車のオモチャだらけ。
けれど、残念なことに、母の私は車にも電車にも、全く興味がわかない。
「トミカごっこ」を求められても、正直楽しくない。
子どものために楽しまなきゃ!と思っても、心から楽しんで遊べない。
(大体、トミカごっこって何するのさ!)
日中、誰か、人と会話したい。
会話がかみ合う大人と、何でもいいから喋りたい!
「〇〇と、△△、2点で350円です。」「はい、ありがとうございました。」
こんなやり取りを求めて、用事もないのにスーパーへ歩いたりした。
途中、小さな駅を通り抜けていくのだけれど、駅では、電車を見たい長男がフェンスに張り付く。
何本も何本も、飽きもせず電車を眺める彼の横で、
「おっ特急電車〇〇〇だ!」「貨物列車だね~『金太郎』だね!」なんて、
何とか話をして、一緒に楽しもうと思うのだけれど、行きも帰りも駅で引っかかり、
毎度毎度、そのうち私はうんざりしてしまう。
あの時も、スーパーからの帰り道。
夕暮れが迫る駅周辺は、人影もまばらで、寂しく寒々しく、孤独に拍車がかかるようで気が滅入る。
もう、何だか嫌になって、急いで帰りたくて、ようやく駅のフェンスから長男を剥がしたところだった。
駅のロータリーに、長男の大好きな車が停まっていた。
トミカだったか、チョロQだったか、持っているオモチャの本物がいる!
「あぁ、また帰れないぞ、これは…」
予感は的中。長男は、大好きな車のホンモノを間近で見られて大興奮。
今度は、車道と歩道を隔てる柵に張り付いてしまった。
宅急便のおにいさんがくれたモノ
荷物を運び終わったおにいさんが、車に戻ってきた。
きびきびと走るおにいさんは、車を見て大興奮の長男に気付き、
ニコッと笑って手を振ると、車の後方に乗り込んで、荷物を片付け始めた。
「どうせ張り付いて動かないし、出発してから帰ろう」
気が済むまで長男に眺めさせればいいやと、待っていたけれど、なかなか荷物の整理は終わらない様子。
「忙しいんだな~。荷物送る人も受け取る人もいっぱいいるんだな~。」
何故か、そんなことにすら、自分が世の中から遠く離れてしまったような気持ちになって、
重たい塊が喉の奥につかえたみたいになりながら、ぼんやり眺めていた。
ようやくおにいさんが車の後方から出てきたと思ったら、こちらに向かって走ってきたので、
お邪魔だったのかと慌ててしまい「ごめんなさい!」と咄嗟に謝った。
心の中で、色々な「ごめんなさい」が同時に溢れた気がした。
お邪魔してごめんなさい。世の中の役に立てなくてごめんなさい。ちゃんと子育てできなくてごめんなさい。ダメな母親でごめんなさい。ごめんなさい。
おにいさんはキョトンとしながら、何かを差し出していた。
「お荷物の集荷に伺います。電話番号:0××ー××・・・」と書かれたマグネットシート。端っこにはキャラクターの黒いネコ。
「こんなのしかなくて。
何か、ぬいぐるみとかミニカーとか、ないかな~と思って探したんですけど・・
もし、よかったらどうぞ。」
そう言うと、長男にバイバイと手を振って、走って運転席に乗り込んだ。
思いがけないプレゼント。黒いネコちゃんのイラストに、長男は大喜びで、ニコニコで車に手を振っていた。
時間がかかっていたのは、荷物の片付けじゃなくて、何かプレゼントできないかな~と探してくださっていたのだった。
宅急便のおにいさんは、超忙しいハズなのに。
優しい気持ちが嬉しくて、しばし呆然としてしまった。
不思議と、薄暗く感じた夕暮れの空は、実はほのかにピンクで綺麗で、
家へ急ぐ人たちが、あったかい目を向けてくれているような気がした。
その後、縁あって私は仕事を始め、それはそれはあったかい保育園に出会った。
色々ありながらも、発達凸凹長男は今や大学生となり、
スーパーでバイトしながら、何とか一人で暮らしている。
あの時、宅急便のおにいさんがくれた優しさは、心の奥に沁み込んで、じんわりと私を元気づけてくれた。
おにいさんにしてみれば、夜には忘れてしまうような、些細な出来事だったかもしれないけれど、
あのタイミングで、他人の優しさに触れていなかったら、私の心は壊れてしまっていたかもしれない。
若干オーバーだけど、私たち家族の今があるのは、あの時、宅急便のおにいさんがくれたモノのおかげ
とも言えるかなと思っている。
今でも、あの宅急便の車を見ると何故か嬉しくて、思わず手を振りそうになる。
今週のお題「感謝したいこと」
ほんさき
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