「私、実は『引っ込み思案』なんです。」
なんて、うっかり言おうものなら、
「はぁ?誰が?ほんさきさんが??それはないでしょー(笑)」
と一蹴される。
でも、意外とそうでもないのだ。
そして、性格の根っこの部分は、どうしたって変われないのかな~と思う。
数年ぶりに連絡をもらう
懐かしい人から連絡をもらった。実に数年ぶりのLINE。
いくつか前の職場で同僚だった彼女は、協力し合える、冗談も言い合えるありがたい仲間だった。
お互いに転職し、やがて交流は途絶えた。
「久しぶり(^-^)どうしてるかな~?と思って。」
と始まったトークは、アレコレ近況を送信し合い、
一緒に働いていた頃のように話も心も弾んだ。
こんなに嬉しいなら、たまには自分から連絡すればよかった。
ご無沙汰している、あの人やあの人やらにも、連絡してみたら嬉しいかもしれない。
そんなことをチラリと思うけれど、私が自分から「久しぶり(^-^)どうしてる?」と連絡することは、今までほとんどない。
そして、多分これからも。
「仲間に入れて」と言えない子ども
小学校中学年頃までは、学校でずっとひとりだった。
当時、休み時間ともなれば、校庭のあちこちでドッジボールが始まっていたけれど、
「仲間に入れて」と自分から言えなかった。
一度だけ、それて転がってきたボールを拾った時に、
「あ、ほんさきさんも入る?」と言ってもらえて、一緒に遊べたから、
「また転がってこないかな」
「誰か気付いて『入る?』って言ってくれないかな」
なんて思いながら、同級生の遊ぶコートの近くを、意味もないのに意味ありげに行ったり来たりしていた。
二度とボールは拾えなかったし、「入る?」と気付かれることはなかった。
「仲間に入れて」と言うだけでよかったのに、
簡単そうなその一言は、なかなか口にできなかった。
私が「入りたい」と言ったら、みんな嫌がるんじゃないだろうか?
「え~嫌だな」なんて言われるかな。
「ほんさきさんが入るなら、私はやめる」なんて言う人がいたらどうしよう。
「ダメ。入れてあげない。」なんて言われたら、すっごくショックだろうな。
自分から求めても受け入れてもらえる気がしなくて、
拒絶されること、それがはっきり見えることが怖くて、
「次に吐く息で声に出そう」と息を吸い、やっぱり言葉が出ないまま息を吐く。
そんな呼吸をただ繰り返し、休み時間は終わってしまう。
引っ込み思案が顔を出す
今は一見「引っ込み思案」を克服しているように見えるかもしれない。
気の強さはあったので、「受け入れてもらえなくたっていいさ」と開き直ったり、
「仲間に加わりたくないや」と、ある意味、人と接することを諦めたり。
どう思われてもいい相手なら、何とでも言える。
学校生活ならば、ある程度勉強ができれば、孤立したってあまり怖くない。
そう思おうと努めて、表面上は積極的になった。
どんな職場に行っても、軽く話を合わせもするし、面白かった話なんかしてみたりできる。
けれど、克服できたと思っていると、不意に引っ込み思案が顔を出す。
素の自分でいる時に、想定外に知人と遭遇したりすると、とっさに顔を出す。
スーパーでママ友を見かけたら、「あら、こんにちは~」なんて笑顔で挨拶すればいいのに、
思わず気付かなかったことにして、違う棚に用事があるかのように回れ右してみたり。
立ち話のグループができていると、「なになに~?」と歩み寄れないし、
数年ぶりに「久しぶり(^-^)どうしてる?」って一文を送れずにいる。
変われなくてもよしと思う
あれこれジタバタしてみても、根っこの部分はどうしたって残っていて、
結局変われないのかなと思う。
けれど、そろそろ「変われないダメな自分」ではなく、
変われないけれど、それなりに対処できてきて、まあ良し。
そんな風に考えたっていいんじゃないかと思う。
色んな人がいていいのだから、自分にダメ出しばかりしなくていいかもしれない。
本当は引っ込み思案だけど、結構頑張ってもきたんだし。
連絡をくれた彼女も、ドキドキしながら送ってくれたかもしれないと思ったから、
精一杯の感謝を送り返した。
連絡ありがとう。コロナが落ち着いたら、会って話そうね。
おかげで、楽しみが増えたよ。
それまで、お互い元気でいようね(^▽^)/
ほんさき
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