小石の眼から見た景色 あらかた50主婦のあったこと録

その辺に転がっている小石のあれこれ体験録です。

「どうしたらいい?」の答えは「『どう』であることを『良し』とするか?」で違う~終わりの迎え方に正解はない

医療系の資格など何もない、ただの事務職員なのだけれど、
病院に勤めていると、家族から医者扱いされてしまうことがよくある。

義実家に行くと、「私は往診に来たのか?」というくらい義母が話し出す。
「脇腹が痛いんだけど打ったせい?病気?」とか
「この変に昨日からブツブツがある」とかとか・・・

私は医者ではないし、仮に医者でもわかりませんっ。
と思いつつ、「気になるなら病院に行ってくださいね。」と返す。

この間は義父までやってきて、
「コロナワクチンはどうなってる?大丈夫なのか?いつ打てるんだ?」
なぜ、それを、私に問うのだーー!
こっちが知りたいわ!!

そして、医療や介護の仕事に就いている人アルアルだと思うけれど、
何かしら家族の病気や介護の問題が浮上すると、あれこれと質問攻め相談攻めにあう。

義父の不調から今後の問題が浮上する 

義母から電話がかかってきたのは年明けすぐ。
「おとうさんが(義父)ちっとも言うこときいてくれないっ!!大体そもそも・・」

あぁ、いつもの夫婦げんかだわ~と思ったら、話をまとめると義父の体調が悪い話。
最近、どうにも歩行がおぼつかない。痩せ方も激しい気がする。
持病が悪化しているんじゃないか??
どこか病院に行こうと言うのに、ちっとも聞いてくれない。

義母「どうしよう。どうしたらいい?最近歩行が・・・(繰り返し)」

私「やみくもに行かずに、まずは、かかりつけ医に相談して、
どこか大きい病院を紹介してもらって、
義父の説得はかかりつけ医にお願いして・・・」

ケンカを繰り返したようだけれど、なんとか大きい病院へ行き、詳しい検査の結果、
義母が疑っていた持病とは別の、寛解状態だった持病が悪化したらしいとの診断だった。

そして、主治医から同席するよう言われ、息子である夫が一緒に説明を聞いてきた。

手術をすれば、状態は改善し、より長く元気に過ごせる。
ただし、年齢からして改善を実感できない可能性もある。
手術の失敗もありうる。身体が耐えられるか不安もある。
手術しなければ、このまま少しずつ悪化し、寝たきりになる可能性が非常に高い。

 

実親を看てきた身として、以前から、
介護が必要になった時、どうするのか考えておく必要があると、夫には話してきたけれど、
歳の割に元気だった義父の不調で、急に今後の問題が浮上して、夫も私も戸惑った。

手術する方がいいのか、しない方がいいのか。

ワンマンな義父の一存で、少々辺鄙な場所に家を建てたため、
買い物、病院、生活全般、車のない高齢者には不便な家。

ここで、いつまで、どの状態まで暮らすのか?暮らせるのか?
在宅介護するのか?
引っ越すなら、いつ、どんなところに?

どうしたらいいかなんて、私にわかるはずもないのに、
「どうしたらいい?」と義母にも、夫にも聞かれてしまう。

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 「どうしたらいい?」の答えは「『どう』であることを『良し』とするか?」で違う

義父は、手術はイヤだと言う。寝たきりになる??でも手術はイヤ。
この家にずっと住み続けたい。
自分に介護が必要になる辺りからは、考えたくなくなってしまう。

義母は、手術して失敗したら困ると言う。でも自分が介護できるとは思えない。
この家にずっと住み続けたくない。でも引越し先なんて思いつかない。

夫は、義母が在宅介護するのはムリだと言う。
買い物すら行けない場所なのに、夫婦げんかも絶えないのに、
ワンマンで勝手にしてきた義父が寝たきりになって、優しく介護なんてムリじゃないかと。 

 何度も「どうしたらいい?」と相談されるうち、ふと思った。
「『どう』であれば『いい』の?」 

 いつか迎える終わりの時が、近づくかもしれないけれど、
調子いい状態で、ココでできるだけこのまま過ごすのが『いい』のか、

段々と動きが悪くなっていき、このままの生活はできなくなるけれど、
終わりの時が近づく(急に訪れる)リスクは避けて、悪化しない可能性にかけるのが『いい』のか。

『どう』であることを『良し』とするか?で答えは全く違う。 

終わりの迎え方に正解はないから家族で話し合っておく

結局、本人の意向が最も大切だからという結論に達し、
手術嫌いの義父は「このまま」を選択した。

主治医には散々脅されたけれど、今のところ、現状維持。
良くも悪くもなっていないので、一安心?といったところ。

うやむやになってしまって、
『どう』であることを『良し』とするかの話し合いは、宙ぶらりんのままだ。

 

実親の時は、両親や兄姉と話し合い、
「可能な限り、ギリギリまで自宅で過ごす。」 を『良し』とした。

けれど、終わりの迎え方に正解はない。

「最期まで自宅で」が素晴らしく聞こえても、不便な辺鄙な場所で、家族みなが暗い顔をして、恨み言を言いながら介護することになるかもしれない。

あまり気持ち良い、気軽に話せることではないけれど、
家族で早めに話しておく方がイイ。

親も、自分自身も若返りはしないので、後に回せばどんどんしんどくなる。

まさに我が家も。 

ほんさき

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