小石の眼から見た景色 あらかた50主婦のあったこと録

その辺に転がっている小石のあれこれ体験録です。

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近頃の高齢者は承認欲求が満たされにくいと思う~義父との付き合い方を考える【後編】

 実際に「得する」こと以上に、「『得した♡』という快感」が病みつきになり、
お買い得品を持て余すほど買い込んでしまう「お得依存症」。
(注)私が勝手に命名しました。正確な専門的な病名ではありません。

義父の状態がコレだとすると、「結局損してません?」と説得したところで効果があるとも思えず(買わないと快感を得られませんから)、
義父との付き合い方をどうしたものか、模索中なのです。

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「お得依存症」かつ「損恐怖症」?

義実家は、冷蔵庫内に限らずモノがあふれています。

私の実家の方が数段ひどかったですが、(片付けが大変でした(-_-;))
物のない時代を経験した、「昭和初期生まれ」あるあるなのでしょう。

食べ物でもなんでも、とにかく捨てることができません。

「勿体ない。いつか使うかもしれない。誰か要るかもしれない。」
そう言いながら溜め込んで、
そのくせ「お得だった」とドンドン買ってくれば、そりゃぁモノも溢れますって。

でも、手放した後で「あ~アレがあったらな」なんて思ったら、損した気分で悔しくてたまらない。
それが、たとえ、もう使えなかったモノでも(ずい分前のパンでも(゚д゚lll))、100均で手に入るモノだったとしても。

その気持ちは私にもありますが、もはや「損恐怖症」(私が勝手に作りました)か?
というレベルで悔しがり、ますます捨てなくなってしまいます┐(´д`)┌ヤレヤレ

根底にあるものは「承認欲求」かもしれない

さて、つらつらと義父への愚痴を書いておいてなんですが、義父は結構責任感が強く、真面目な人です。 
お酒、遊び、女性、タバコ、ギャンブル等々で、義母を困らせたことは一切ありません。お給料は・・節約が必要だったようですが(義母談)。

義母は、ずい分と年下で、仕事をした経験はほとんどなく、ホンワカした可愛らしいタイプ。

「自分がしっかりしなければ。自分が家計を支えなければ。」 
義父は、今でもそんな思いが強いように感じます。

「ちょっとでもお得に、損をしないように、家計が困らないように。」
そうやって、頑張ってきたのだとも思うのです。

ところが、退職してからカレコレ四半世紀以上。年金生活。

義母より勝っているつもりだったコトが、義母の方がまだ若い分、どんどん逆転していきます。
新しいコトへの対応力や、記憶力、筋力すら。

義母が頼りにするのは、もっぱら近所の友達や息子夫婦。
なんだか寂しい様な、面白くない様な気がするのでしょう。

「オレが行くと、こんなにお得な買い物できるんだぞ」
「これ、お得に買えたから、持って帰らせてやるぞ」 

そんな言葉に
「自分だって、まだまだ役に立つんだぞ!」という思いも感じます。

いつしか、得をすること(損をしないこと)で、承認欲求が満たされ、
「『得した』と感じること」が喜びになってしまったのかもしれません。 

近頃の高齢者は承認欲求が満たされにくいと思う

「近頃の高齢者は、承認欲求が満たされにくいだろうな」と、
どちらかと言うと高齢者側になってきて、よく思います。

村で最も偉いのは長老(そもそも今ほど高齢ではないでしょうが)
年配であるほど尊敬されるような時代は昔話の世界。

村社会を支える農耕や狩猟が、経験に頼るしかなかった時代。
経験豊富な高齢者の知識が役に立ち、貴重だからこそ、大切にされたのでしょう。

そして、役に立てている自覚があるからこそ、高齢者自身も承認欲求を十分満たすことができていたのでしょう。

現代では、いかに新しいものを取り入れるか、いかに新しい情報を得るか、
古いモノ(経験)に縛られないことが大切になり、

歳をとるほどに、経験の優位よりも、役に立てない面が目立つ傾向があるように感じます。(もちろん業種によりますよ)

それは、職場だけでなく、日常生活の中でも。

以前に比べて、物事の変化のスピードが格段に上がり、やっと覚えたと思ったら、すぐ新しくなる。
経験より適応能力が求められる。お買い物での支払い一つにしても。

積み重ねた知識や経験が、全く役に立たないとは言わないけれど、
昔話の世界と比べれば、承認欲求は格段に満たされにくくなりました。

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キレる高齢者やクレーマーと化す高齢者について、よく見聞きします。

実際、クレームを受け付けると、うんざりするのは事実ですが、
満たされない承認欲求を、「重箱の隅つつくようなクレーム」で得ようとしているのかな?と思う時もあります。

「若いヤツ(私は決して若くないですが、比較の問題ですね)が気付かないところ、俺の豊富な経験で見つけて、教えてやったぜ!」みたいな(;'∀')。

義父との「これから」自分たちの「これから」

外で他人様にキレたり、クレーマーと化したりしない分だけ、義父はまだイイ方かなと思うものの、

「納豆持っていくか?お前んとこは、いっつもウチの納豆を持っていくなぁ。
全く。若いくせに自分で買えんのか?」(←イヤミ度増し増し)
などと言われようものなら・・・。

「納豆くらい買えるわーー!
私だって、自分の好みの納豆を、賞味期限ギリギリじゃない納豆を買いたいわーー!」

「大体、そもそも、一体誰のせいで、お宅の冷蔵庫納豆だらけになっとると思っとるんじゃー!(੭ु´・ω・`)੭ु⁾⁾」

ちっくしょーこっちがキレるわ。更年期のイライラなめんなよ(言えてないけど)。

自分の承認欲求を満たしたいなら、自分で何か始めるとか、何か努力してみればいいじゃんか!と思うものの、

考えれば、義父はどちらかと言うと90歳に近いのです。
さすがに、今更感が否めません。

あとどのくらい、自分でお買い物に行けるかもわかりません。

ちっくしょーと思いながらも、「助かります~(*´σー`)エヘヘ」なんて言って
貰って帰るのが一番なのでしょう。

ちなみに、好みの納豆を伝えたところで全く聞く耳持たず、特売品しか買ってきてくれませんけどね(;´д`)。

 

自分自身も、年齢を重ね、身体は衰えていく一方です。
老化は病気と違い、回復はしません。
スピードを調整する努力はできても、徐々に進みます。

積み重ねた日々は、経験は、使い物にならない「古いモノ」扱いで、
必要とされる「新しさ」についていくための、知力も体力も減る一方。

若者だけでなく、高齢者も更年期のオバちゃんにだって、今より先、未来があります。

「毎日毎日、より憂鬱の方向に向かって進むしかないのだろうかしらん」なんて、思う日もあり、
「イヤイヤ、今からでも何か取り組んで、自分の承認欲求は自分で満たしたいわ」なんて思う日もあり。

できることならば、人のあらさがしをして自分を保つより、
前の世代と次の世代に感謝して、生きていけたらいいなと思うこの頃です。 

ほんさき

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