小石の眼から見た景色 あらかた50主婦のあったこと録

その辺に転がっている小石のあれこれ体験録です。

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父と見た景色

その日が何年で、何日だったのかということは、正確に覚えていない。

お盆が近づく、ある暑かった日の夕方。
小学生高学年くらいの私は、父と家の裏庭にいた。

父と何か庭仕事をしていた時に、家の中からテレビの音が聞こえてきた。

「今年で、戦後3△年になります。今年の終戦の日は・・・」

父が手を止め、立ち上がり、大きく伸びをしたので、
私も一緒になって、伸びをした。

山が近かったので、小高い裏庭は既に陰っていたけれど、
東側に遠く見える街並みは、まだ強い日差しを浴びて白く光っている。

そういえば、そのコントラストが妙に好きで、
その時間帯のその場所からの眺めが、私は結構好きだった。

隣の父の顔を覗き込むと、遠くの街並みよりも、もっと遠くを見ているような目をしていた。

もともと寡黙で、厳格で、頼もしい父は、
特に何を話すでもなく、ただ黙って遠くを見ていた。

その頃、繰り返し、厳しく両親から「平和教育」を受けていた私は、
多少その窮屈さに辟易し、内心反発していた。

「戦時中は食べるものもなかったのに、贅沢だ。」
と言われるたびに、「いつの話よ!」と、ウンザリしていた。

けれど、その時は、父の横顔を見ながら、何故か唐突に、
「父は今、こんな風に思っているのかもしれない」と思った。

敗戦を知ったあの日から、3△年。
30数年後には、結婚していて、子どもにも恵まれ、家も建て、
のんびりと平和な街を眺めているなんて、

あの時は、想像もできなかったな。 

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それから20年近く過ぎた8月、我が家に長男が産まれた。

誰に、何を言われたというわけではなく、夫婦で話し合いつけた名前には、
平和にちなんだ漢字が一文字入っている。

父に長男の名前を報告すると、何も言わず、ただただ静かに微笑んでいた。

その時、あの夏の日の、夕方の裏庭を思い出し、
「父は今、こんな風に思っているかしら」と思った。

あの辛い日から、必死にがむしゃらに生き、
まさか自分に娘が産まれ、そして孫が産まれるとは。
夏に産まれた孫の名前に、平和を願う文字が入っているとは。

あの時は、想像もできなかったな。

 

少年飛行兵として敗戦を耳にした父は、わずか16歳。
訓練地ではラジオがよく聞こえず、宿舎に帰り、そのニュースを教えてくれた先輩に
「そんなことがあるものか!!」と、くってかかったそうだ。

広島に原爆が投下された時は、
「『新型爆弾』がココにも落とされる」との知らせに怯えながら
夜中黙々と歩いて移動したのだそうだ。

信じていたモノ、学んできたモノは、黒塗りにされ、全て否定され、
万歳で見送られた故郷の駅に、ひっそりと降り立った少年は、

「もう決して、誰も、二度とこんな思いをしてはならない」と強く思ったそうだ。


娘の目から見ても、父は怖いくらい闘っていた。

怖いばかりの父、うんざりする平和教育と思っていたのに、
あの夏の日から、なんとなく父の心の中を思うようになっていた。

父と見ていた景色は、懐かしい故郷の夏の空だけれど、

父が見ていたのは、多分、絶望のどん底だった、あの終戦の日と、
それから必死に歩いてきた道だったのだろう。


最期、父は夏を前に旅立った。

亡くなる前日、モルヒネで朦朧とする中、孫が会いに来たことに気付き、
渾身の力で体を起こし、

相変わらず何も言わず、孫二人の頭に優しく手を乗せた。

孫たちは父の希望そのものだったのだなと思いながら、
その時も、私はやっぱりあの夏の夕方を思い出していた。 

はてなインターネット文学賞「記憶に残っている、あの日」

ほんさき

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