小石の眼から見た景色 あらかた50主婦のあったこと録

その辺に転がっている小石のあれこれ体験録です。

髪を抜いていた子どもの頃を思い出してみる~自傷行為する側の気持ちと大人の「良くない対応」の一例

自傷行為の一種である「抜毛症」。
私が自分の髪を抜き始めたのは、小学校高学年の頃でした。

先日、ある動画を拝見し、その頃の自分と、周りの大人の対応を思い出していました。

今回は、決して恨みつらみではなく、
あまり「良くない対応」の一例として、私が体験したことを書いています。

大切なのは「気付き」と「受容」と「お節介」

以前もご紹介した、精神科医肉qさんのYouTube。 

先日アップされた
「【子供の自殺】新学期前!子供を自殺から守るためにできること。」では、

「当事者に向けてというよりは、周りの大人に向けて、
子供のSOSをキャッチするためにできる事」についてお話しされています。

↓↓↓動画も是非!↓↓↓

www.youtube.com

※肉qさん。いつも勝手に引用させてもらってすみません。ありがとうございます<(_ _)>

大切なコトをわかりやすく説明されているので、詳しくは是非動画をご覧いただきたいのですが、

勝手に、ざっくりまとめると

◇自傷行為のほとんどは、他者へのアピールではなく「不快感情の軽減目的」であることが多い。

◇自傷行為に気付いた時の大人の対応には注意が必要。対応によっては、子どもが大人を信頼しなくなり助けを求めなくなってしまう

◇子どもの自殺リスクを高める要因としてもっとも重要なのは「助けを求める力」の乏しさと言える。

◇子どもの「助けを求める力」を高めるため、周囲の大人(親に限らず)に、「気付き」「受容」時には「お節介」が必要。

ちょっとざっくり過ぎでしたらゴメンナサイ<(_ _)>💦

動画を拝見しながら、
そう言えば、そうだったな~と、抜毛症のひどかった頃のことを色々思い出したのでした。

髪を抜いていた子どもの頃を思い出してみる

私は、小学校高学年の頃から「抜毛症」を抱えています。
50代になり、完治していないものの、ようやく、症状はほぼ治まりました。

www.honsaki.com

当時は、それが「自傷行為」の一種であることなど知る由もなく、
ただひたすらに隠し、バレることに怯える日々でした。

「自傷行為のほとんどは、不快感情の軽減目的」と動画で言われていて、
「あぁ、ホントにそう!!」と思いました。

髪を抜く一瞬の痛みが、なぜ不快感情の軽減になるのか「わかってください」と言っても難しいとは思いますが、

ただ無心で髪を指で捉え、集中している時は「無の境地」になることができ、
引き抜いた時の痛みは、一種の爽快感や開放感につながり、

どういう仕組みかはわかりませんが、辛さからほんのひと時逃れることができたのです。

中学生の頃など、特に酷い時は、その痛みと、抜いた髪の束を見て
何となく「生きてる」と感じたものでした。

はっ!と我に返ると、1時間経っていて、抜いた髪の束は直径5ミリを越え、
髪を失い禿げてしまう恐怖、周囲に見つかる恐怖に怯えるのです。

いくらやめようと思っても、無意識に髪やまつ毛を抜き、
生えかけてきた髪をまた抜き、右手の爪には髪を挟んだ窪みまでできました。

目立たないところに、いくつもの禿げができました。

周囲の大人の対応

中学の担任の対応

中学生の頃、抜いた髪を見てどういうわけか「生きてる」と感じていた頃、
学校の提出物に髪を挟んだままにしてしまったことがありました。

担任に何か訴えたかった訳ではなく…
思い出してみても、どういう心理状態だったのかよくわかりません。

それを教室でチェックしていた担任が、クラスの中で大声で言ったのです。
「日誌に髪の毛がいっぱい挟まってるヤツいるぞぉ。
なんなんだぁ、うぇ気持ち悪い!!!」

「誰が」とは言われなかったのは幸いでした。
今思うと、確かにホラーです。気持ち悪いですよね。
先生にも申し訳なかったです。

ただ「気持ち悪い」ことなので、何が何でも秘密にしなければと
あの時、強く思ったのでした。

母の対応

当初、母は、娘に禿げができていることには気付いても、「抜いている」とは思っていないようでした。

ある年の正月、私のストレスの元凶である長兄が、進学先から帰省してきた時、背の高い彼は、ふと私の髪に気付き、

「お前、禿げてるぞ!」と大声で笑い(あなたのせい
ご丁寧に、母に「あいつ禿げができてるよ!」と伝えにいったのでした。

母は、見て見ぬふりをすることにしたようでした。

しかし、その後、髪を抜いているところを偶然目にしてスルーできなくなった母は、
今度は、しばしば目を光らせ、強く叱責するようになりました。

「また抜いているんじゃないの?」
「どうして抜くの!」「抜いてはダメ!」「禿げるわよ!」

それはわかっている。
思春期の女子にとって禿げるなんて相当な恐怖。

十分に味わっている恐怖に、さらにこれでもかと追い打ちをかけられているように感じていました。

その叱責を受けたところで、やめられるものでもなく
(それでやめられるなら、自分でとっくにやめてる)
ただひたすら、隠すことに必死になりました。

目立たないよう、場所を変えて少しずつ抜く、
抜いた髪を決してバレないように上手に隠して捨てる、
人が部屋に近づく気配にまで注意を払い、すぐ隠せるように工夫する。

そこまでしなくても、抜かなければいいだけなのに、
抜かずにいるとストレスに耐えられないのです。

やめさせようとする前に

その困った行為を、ただ「やめさせよう」と対処されると、
隠したり、違う形をとったりしてしまいます。

その行為の結果、自分が困ったことになるとわかっていて、
本人もやめたいと思っているのです。

「抜かないぞ」と何度も決意し、それでも耐えられず抜いてしまった時の、
罪悪感、無力感、自己嫌悪で、症状がより悪化することもありました。

叱責されても、説得されても、けなされても、避けられても、
「大したことじゃないでしょ」と軽く扱われても、

自傷行為する側からすれば、やめられない「何か」があるのです。

私が子どもの頃は、その「何か」を表現する力もなく、
大人は叱責するだけの人と思い、本音を話すこともできず、

まさに「助けを求める力」が乏しい状態でした。

 

大人になり、親になり、
では、果たして子どもの自傷行為を目の前にした時、自分がどんな対応ができるだろうかと想像すると、

つい、やめさせようと、必死になってしまうかもしれないなと、
その大人側の気持ちもわからなくはないなと思います。

それほどまでに辛い思いを、子どもが抱えていることにショックを受け、
なかなか受け入れられないかもしれません。

その時は、先述の肉qさんの動画を参考に、
「まずは、否定せず丸ごと受け止めるという態度」
で信頼関係を育み、

助けを求めてもらえる大人を目指したいなと思います。

※なかなか皆さまのブログ巡りができずにおりました<(_ _)>少しずつ訪問しますね。

ほんさき

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