「大きくなったら何になりたい?」
子どもの頃のお決まりの質問に、優等生の私は「教師」だの「研究者」だの、
いかにも大人ウケしそうな答えで返し、やり過ごしていた。
けれど、色々としんどい思いを抱えていた私の本当の答えは、
「幸せな人になりたい」だった。
ハリーの寮がグリフィンドールに決まった理由
突然だけど、大好きなハリーポッターシリーズの第2巻「秘密の部屋」。
悪の中の悪ヴォルデモートとの対決にハラハラドキドキした後の、
校長室でのやり取りに、私はハッとさせられた。(少しネタバレあり。)
ダンブルドア校長と二人きりになった時、ハリーは、入学当初から心に引っかかっていた「あること」を打ち明ける。
生徒の所属する寮を決める「組み分け帽子」をかぶった時の事を。
その魔法の帽子は、かぶった新入生の性格や特性を見抜き、それぞれ特徴を持つ4つの寮の中から、その子に合う寮を決定する。
誰も知らないけれど、ハリーがかぶった時、帽子は迷いに迷っていたのだ。どの寮の素質もある。
「スリザリン(ヴォルデモートもかつて所属した)」で偉大になれる可能性がある。
それでも、ハリーが必死に「スリザリンはダメ」と願ったので、
「そう確信しているなら・・」と、
両親もかつて所属していた「グリフィンドール」へ組み分けたのだ。
※注※グリフィンドールはイイヤツっぽく、スリザリンはヤなヤツっぽく設定されているけれど、スリザリンにもイイ人はいる。
ハリーは悩み、恐れていた。
自分は、本当はスリザリンに向いていると「帽子」は見抜いていた。
境遇も、ヘビ語を話せるところも、ヴォルデモートに似ている。
本当は、自分は嫌な奴らだと思っているスリザリン生と同じなんじゃないか?
ヴォルデモートみたいなヤツなんじゃないか?
本当の自分は、根っからのグリフィンドール生じゃない。
自分で、スリザリンは嫌だと頼んだから、帽子がそうしてくれただけ。
その時、ダンブルドア校長は、ニッコリしてこう言うのだ。
それだからこそ、君がトム・リドル*1と違う者だという証拠になるんじゃ。
ハリー、自分がほんとうに何者かを示すのは、持っている能力ではなく、自分がどのような選択をするかということなんじゃよ。
(引用:ハリーポッターと秘密の部屋)
ハリーの寮が「グリフィンドール」に決まった理由は、ハリーが望んだから。
グリフィンドール生として生きることを選択したから。
その選択が、ハリーがグリフィンドール生であることを示している。
幸せな人になれる気がしない
子ども心に何となくイメージした「幸せな人」は、お金に余裕があって、美しく、優しい人。
みんなに好かれて、笑顔でいる人。
けれど、人にはとても見せられないイヤな自分が心の中にいる。
生まれつき冷たい性格だから、あんな家庭で育ってきたから、根っこが嫌な人なのだと思うと、
結局、どうしたって幸せな人になれないんじゃないかと、心のどこかに引っかかっていた。
それでも、「幸せになりたい」と思って、ジタバタあがいていた。
結婚し、子どもが産まれ、子育てに悪戦苦闘していると、
引っかかっていたモノがふと思い出される。
自分は、果たして虐待せずに子育てできるのだろうか?
人を大切にできる人間なのだろうか?
周りのお母さんたちの、なんと優しそうで、あたたかそうであることよ。
何だか空回りして、うまくいかないことばっかりに思える時は、不安が胸をかすめた。
もともと自分の身に付いてしまっている性格や素質は変わらない。
だから、なんだかもう、幸せな人になれそうもないな。
何を選ぶかで自分が決まる
ハリーポッターを読み始めたのは、30代後半になってから。
「秘密の部屋」のダンブルドア校長のセリフを、私は何度も何度も読んだ。
心に引っかかって、何度も頭をもたげるモノを振り払うために。
虐待は連鎖しやすいという。そして、その傾向はあるだろうと思う。
けれど、今我が子に優しい笑顔を向けている人たちの今までが、
誰しも皆、ずっとHappyで、辛い思いとは無縁の人生だったかというと、
決してそんなことはないだろう。
私達は、様々な選択を積み重ね、その結果で自分を形作っていく。
暗い素地があったとしても、明るい道を向いて歩く選択はできる。
そんな気持ちになれた。
遺伝、育ち、時代、運命、
自分ではどうしようもないモノのせいだと思うと、
「これだけ辛いんだから、不幸なのは仕方ないんだ」と思うと、
一瞬、少し肩の荷は下りる気がする。
それでも、そこから「何を選択するか」は自分が決めること。
幸せになりたいとあがくか、自暴自棄になるか、
イイ人になりたいと笑顔を作るか、八つ当たりのように他者を攻撃するか。
どんな生き方を選択したかが、「自分がほんとうに何者かを示す」のだ。
幸せな人になりたいから、幸せな人になる選択を、自分がするのだ。
秋の虫の音が聞こえ始めたなんて、小さな季節の変化を楽しんだり、
日々の暮らしの中で出くわすコトを面白がったり、
といった、ほんの些細なことから。
自分の人生を幸せなモノにするか否かは、やっぱり自分のせい。
そして、それは、私にとって、
「辛いことがあったとしても、『幸せな人』になることがきっとできる」
という、強く厳しく、明るい希望なのだ。
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ほんさき
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*1:ヴォルデモートの本名