遠い国の子どもたちへの寄付を求めるリーフレットが目に留まった。
欲しくて欲しくて迷った末、思い切って注文したCDが届き、
包みを開けた中に、それは入っていた。
何かのご縁のような気がして、
「今、寄付するタイミングなのかもしれない」なんて思って、
その団体のホームページを見る。
とても素敵な活動だと思った。
わずかながら、参加するのもイイかもしれない。
けれど、ふと、思った。
今、私が誰かに寄付するタイミングなのかもしれないけれど、
ただ、まずは、もっと身近な誰かへ、
私が、今心から助けたい誰かへ届く、小さな一歩から始めたい。
「寄付しよう」という気持ちを、私はどこへ届けたいだろうか。
寄付先の情報を探すため、ネットで検索する。
「寄付・日本・性的虐待」
そして、ひとつのNPO法人のホームページを開き、
ごくごく僅かだけれど、毎月定額の継続寄付の手続きを済ませた。
一番の決め手は「設立の経緯」。
★設立の経緯
CAPNAが設立されたきっかけは1994年に遡ります。
高校生の少女が実父からの性的虐待を友人に打ち明けました。
その生徒は家出や無断欠席など問題のある生徒とみなされていましたが、友人が担任に相談したことから、学校から警察につながり、児童相談所に一時保護されました。
児童相談所から弁護士会の子どもの権利委員会に相談 があり、その事件は全国で二番目の親権剥奪という虐待事件となりました。そのとき協力して取り組んだ弁護士と児童養護施設関係者、児童福祉司が中心となって、愛知県にも市民団体を設立しようとする機運が高まり、児童養護施設暁学園の施設長であった故祖父江文宏が代表となり、1995年10月、日本で三番目の子ども虐待防止の民間団体が名古屋に誕生しました。それが子どもの虐待防止ネットワーク・あいちです。
(引用:NPO法人CAPNA:https://capna.jp/about/capna CAPNA設立の経緯)
近頃は、「よくぞ生きぬいた」と、自分をほめる気にもなれる時がある。
もちろん出会った人や、環境、運に助けられてなのだけど、
自分も、何とか頑張った。
今まで、よく(「良く」ではなく)生きた。
それでも、人生が進むと、嫌でもその人物を思考に挙げざるを得ない場面が来る。
顔を上げて生きているけれど、罪はあの人だけにあるけれど、
ふるさとや、他の兄姉との絆さえも絶たない限り、
完全に避けることも逃げることもできない。
どうしようもなく、怒りがこみ上げる時がある。
行き場のない憎しみや、悔しさ、憤りで心がいっぱいになる。
上を向いて、前を向いて、美しいもので心を満たそうと思って生きてきたけれど、
私の心には所詮、結局、ゴミみたいな感情が残るのかと、がっかりする。
別に、今更、復讐したいわけではない。
かえって胸糞悪い。
過去はどうしようもない。
今まで自分はよく生きた。
でも、上を見上げても、
小さなころから押し殺した感情は、行き場を失い、
急に胸に広がる。
寄付の手続きを済ませた時の気持ちを何と表現しよう。
それは「優しさ」と呼ぶような感情ではなく、
「復讐」のような気持ちにも似ている。
どうだ!ざまあみろ。
私は、仕返しなんかしない。
汚い感情になんて負けるもんか。
避ける術のなかった、雨のように降ってくる理不尽に歯向かうような気持ち。
ブログ界の片隅で、こっそり書くくらいしかできていない。
実名を出して、性的虐待根絶を訴えることも、被害者を助ける活動もしていない。
私は、無事に生きているのに、強い憤りを持って生きているのに、
その生きざまは中途半端だ。
そんな気持ちが、自分の中で自分を責めている。
寄付は、誰のためよりも、まず自分のためになるのだなと感じている。
自分でアクションを起こすほどの者ではないけれど、
誰かに託すしかできていないけれど、
あの頃の自分に救いの手を差し伸べる、小さな一歩を踏みだすことができた。
ほんの少しの寄付だけれど、
「乗り越えて生きてよかった」と、
自分が、今、ここにいて良かったと、
自分で自分を肯定できるような気がしている。
次は、遠い国の子どもたちへの活動も、わずかながらお手伝いできたらいいなと思っている。
ほんさき
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