小石の眼から見た景色 あらかた50主婦のあったこと録

その辺に転がっている小石のあれこれ体験録です。

離層

季節はすっかり春。
良く晴れた日、道端では綿毛を飛ばそうと、タンポポが背伸びしている。

より遠く、新しい良き地へ種が届くように、
心地よい風に併せて、ふ~っと息を吹きかける。

旅立つ綿毛は希望に胸膨らませているよう。
そして、見送るタンポポに自分を重ねて、嬉しい様な寂しい様な思いを繰り返す。

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葉や果実が植物体から離れる時、そこには「離層」ができているのだそうだ。

若い葉や実を無理にちぎれば、傷口ができるけれど、
枯れ葉や熟した種子は、かすかな風にもポトリと落ちる。

種子も植物体も無傷でいられるのは、離層がきちんと形成され、離れる準備が整っているから。

タンポポの綿毛が、軽やかに、ふわりと飛んだならば、
十分に栄養が運ばれ、しっかり独り立ちできる状態の種子と、役割を終えたタンポポの間に離層がきちんと形成されていて、
「旅立つ準備が整っていた」ということ。

子どもが生まれた時から、目指すゴールであり、
このうえなく喜ばしいこと。

離層を作る間もないうちに、別れなければならないとしたら、どれほど辛いだろう。
まさに「生木を裂く」ようなのだろう。

離層ができないまま、上手く飛び立てず、
タンポポについたまま枯れる綿毛もまた、辛いかもしれない。
いや、親の近くで根を下ろせれば、それはそれでいいのかな??

タンポポを見ては、そんなことを考えるほど、軽く喪失感がある。

 

長男は、思いの外早めに1人暮らしのアパートから帰ってきた。

引越しも、社会人の準備もバタバタしたけれど、
久しぶりに4人家族の日々が戻り、賑やかで、ちょっと窮屈な3月だった。

県外に就職が決まった長男と、こんなにゆっくり過ごすことはもうないだろう。

長男が大学に進学し家を出た時も、もちろん寂しかったけれど、
ココは「帰ってくる場所」だった。

けれど、親はもう「栄養」を送る必要がなくなる。
そして長男は独り立ちし、親とは違う土地に根を下ろす。

まるで違う寂しさを感じ、
3月は、何をするでもないけれど長男のそばで過ごそうと思った。

「そんな風じゃ、社会人になってから困るんじゃないの?」
なんて、お説教したくなる気持ちは抑えて、

ただ、長男や二男の好きなおかずを作り、
ちょっと散歩したり、
荷造りを手伝ったり、
家族でトランプをしたり…。

 

もう、離層はできている。

残り、親にできることと言えば、
より遠く、新しい良き地へ種が届くよう祈りながら、

最後、精一杯背伸びして、
晴れた日に、良い風に種を委ねることくらい。

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「精一杯頑張って。
ただ、どうしても困ったら、戻る場所はあるからね。」

新幹線のホームで、お互い笑顔で手を振ったのに、
一人帰る在来線のホームで涙が出た。

種を飛ばし、少し軽くなって、
「さて、これからどう過ごすかな」と思っているところ。

ほんさき

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