小石の眼から見た景色 あらかた50主婦のあったこと録

その辺に転がっている小石のあれこれ体験録です。

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「何者にもなれない」気持ちをちょっと軽くする曲~Mr.Children「進化論」

Mr.Childrenデビュー30周年だったので、5月はミスチル三昧の日々でした。

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ブレイクしたての頃の曲は、もはや懐メロのようでもあり、

(二男が「『innocent world』?知らないな~」なんて言うので、
一瞬「うそっ!信じらんない!!」と思いましたけど、確かにそうかも(;'∀'))

当時の(若かりし頃)記憶が蘇って、切ない様な懐かしい様な気持ちになったり、

あまり繰り返し聞いていなかった曲を改めて反芻すると、
じわじわと胸に沁みるな~と思ったりしています。

再び繰り返し聞き、歌詞を改めて味わい、
少し気持ちが楽になる、心に響く曲の一つが「進化論」でした。

もしかすると、今の自分だからこそ、胸に沁みるのかも。

50歳を過ぎ、平穏に過ごしているけれど、何となく
「私は結局、何者にもなれていないな」なんて気持ちが心のどこかに潜んでいる
そんな今の自分だからこそ。

※以下引用は全て「Mr.Children:進化論」

この世界に生まれ持って携えた使命が
もしあるとしたら それはどんなものだろう?
大それたものでは きっとないな
だからといって どうでもいいことじゃ寂しい気もする

30代くらいまでだったか、何となく「何者か」になれる気がしていたのです。
そこまで大それたものではなくても。

もちろん、50過ぎたからといって、何かにチャレンジできないわけはないし、
できないのではなく、やらないのだし、

今の自分の、うすぼんやりした、くすぶった悔いのような気持ちは、
もっと、がむしゃらに頑張らなかった結果であるけれど。

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平穏に生きていられるだけで良いハズなのに、何か使命を果たさなかったような気持ちになったり、

「そもそも、どうでもよかった人間だったのよ」と、妙にネガティブだったり。

勤続何年なんて働き方をしてもいないし、代わりなんていくらでもいるし、
では家事が得意かっていうと、ブログ記事にできるような事はなにもないし、
特技があるわけでもなく、趣味があるでもなく…。

深刻に悩んではいないのですが、どうしたもんかと焦るような、
怖いくらいに何にもない気がして虚しいような、
そんな気持ちが、ニコニコしていても、心の奥に沈んでいるような日々です。

 

進化論では首の長い動物は
生存競争の為にそのフォルムを変えてきたという
「強く望む」ことが世代を越えて
いつしか形になるならこの命も無駄じゃない

ところで、進化論と聞くと、ダーウィンを思い浮かべます。

ダーウィンの説でキリンの首の長い理由を大雑把に言うと、
偶然首の長いキリンが生まれ、高いところにある葉っぱを食べられたから、
首の長い個体だけが生き残っていった」から。

ダーウィン以前、フランスの博物学者ラマルクの説では、
「何世代もの間、キリンが高いところへ首を伸ばそう伸ばそうと努力をした」から。

(獲得形質の遺伝:それぞれの個体で獲得した能力、もしくは失った能力は次の子孫に遺伝する。)

ダーウィンの説が定説になり、「努力説」は「何言ってんだ!?」と言われてきましたが、
Mr.Childrenの「進化論」が生まれた頃、「獲得形質の遺伝もあるのか?」という新説が発表されたのだそうです。


もしかすると、キリンの祖先の努力も、キリンの首の長さに影響があったのかも。

何かを強く望み、自分たちの世代では叶わなくても、
望んだ結果、いつか叶うのならば、
今、望みを持って生きることは無駄ではない。

歌詞を自分なりに読み、ちょっと気持ちが軽くなる気がするのです。

例えば私の首は短いままでも、キリンになれなくても、
望みを抱き、望み続け、何世代も後の誰かがキリンになるのなら、
生き続けられる進化を遂げるなら、私も無駄ではないのかもなと。

そして、それは、自分の子どもや孫といった、直接的な子孫だけでなく、
社会全体にも言えることなのではないかなと思うのです。

例えば、女性が働き続けることをとっても、
私が社会人になった頃と比べ、今はずい分働きやすくなってきていると思います。

もちろん、その時々で、辛いコト、もっと改善すべきことがあるとしても。

私の母の世代と比べれば、私もはるかに恵まれていました。
世代を越えて、望み、努力してきた結果がであり、
望み続けて次につないでいくでもあると思うのです。

 

誰も傷つけない優しい夢を 素敵な夢を
君に引き継げるかな?

今は、まだ生き辛い世界かもしれないけれど、
もっと生きやすい、誰も傷つけない世界に進化することを、
強く望み続け、世代を超えていつしか形になるなら
今生きる誰もが、無駄じゃないのかもしれない。

何者にもなれない自分も、無駄じゃないのかもしれない。

勝手に、そんな風に解釈しています。

 

空を飛び 月を歩き
それでも自然に脅かされる
すべて受け入れて
見果てぬ夢を 素敵な夢を
君と見ていたい

進化を遂げ、翼も持たないのに空を飛び、
地球を飛び出して月を歩くのに、

自然の力の前に無力で、
争い続けていることは、何だかずっと変わらないような気持ちになる昨今です。

それでも、ネガティブ思考に捕らわれてしまわないように、

自分の望みや生き方や、社会への考え方や態度の一つ一つが、次へつながるのだと意識して、
何者でもなくたって無駄なんかじゃない自分でありたいと思っているところです。

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ほんさき

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